上大森神社
石川県七尾市矢田町サ67丙 its-mo


上大森神社と彫られた石柱

交通

JR七尾駅から南東1.5km



祭神

大物主命、事代主命、五十猛命



由緒

 創立時期は不明。言い伝えによれば出雲国の来海の惣社と申すところからの別にして国と開発の神にあらせられる。来海とは来待の意。來待神社の祭神は大物主櫛甕玉命、積羽八重事代主命、五十猛命であり、頷ける由緒である。

 大国主命の御子事代主神を祀り、天満宮矢田部の子孫大森氏が奉仕するとある。こうした因縁から古くは気多大社平国祭巡行の折り、立ち寄ったと伝えられる。

 七尾市矢田町は『和名抄』でいう、能登国能登郡八田郷の遺称地である。
 八田郷は石動山系七尾城山麓から邑知地溝帯にかけての傾斜地から臨海部に位置している。村中を大谷川支流杵田川が北流している。
 八田(矢田)の地名は大鷲が村人を害するので気多大明神が弓矢で射殺し、その矢が当地に当たったからと云う。
 近くの天満には天喜三年(1055)京都北野から天神を松尾山に勧請の際、供奉のものが住み着いた所と云う。


社殿



お姿 

 山裾の北側に鎮座、鳥居はなく、社殿がひとつあるのみ。
 社頭掲示では、「六世紀頃の矢田古墳群のうち、古称大森塚と申すところの上部を削って社殿を造営したもの。ここは七尾の一の亀の尾と申す所なり。」とある。

 

お祭り


  6月 第2日曜日 例祭

 

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