北方御社宮司社
諏訪市大字湖南字砥沢2993   ゼンリン

鳥居と社標


交通

バス北大熊 西400mへ登る。



祭神

諏訪大神御子神
 合祀 軻具土神、大山祇命、五十猛命、少彦名命、事解男命、速玉男命、素戔嗚命、菅原道眞、市杵嶋姫命、伊弉册尊、火産靈神


由緒
 信濃国諏訪郡には御社宮司神社が数多く鎮座している。端的に言えば字毎に一社と言えそうだ。
 建御名方神に洩矢神が敗れて以来、洩矢神の末裔として、諏訪大社の祭祀を司って来た守屋家は神長官として七十六代に渡って祭祀の秘儀・秘事を伝えて来た。明治維新後、世襲の神官の廃止などもあってその後の相伝が衰え、加えて七十九代現当主は女性であり守矢家の秘儀は絶えてしまった。守矢長官屋敷跡に神長官守矢史料館ができ、一部の祭祀道具などが伝わっている。屋敷跡の西南最上段に、御頭御社宮司総社が祀られている。守矢家の最も大切な信仰対象であった。
 『お諏訪さま』(勉誠出版)によれば、敗れた洩矢神は縄文(中期)以来の自然神であるミシャグチ神を束ねていた神のようだ。さてこのミシャグチは、ミサグチ、ミサグジ、サングージン、シャクジン、オサモジンなどと発音される。このミシャグジ神の総本宮が守矢屋敷の総社である。
 諏訪の神は建御名方神であることには違いないが、諏訪湖周辺にこの神の気配はない。村々に鎮座する小さい御社宮司神社が存在感を発揮しているようだ。縄文・弥生期の遺跡に近い場所に鎮座している場合が多いと言う。
 ミシャグジ神は石や木や蛇に降臨する自然神であって、元々は荒ぶる神・塞の神・性神・豊作神と様々な神格を持ち、人々は全てをこの神に祈ったのであろう。


拝殿


摂社の祠


 

お姿 

 下草がよく刈られた気持ちの良い神社。社標がやけに立派で、子供の遊び場も見える。と言って、幼稚園を併設している訳ではない。かっては神社からは山へ続いていたようだが、中央自動車道が山への続きを断ち切ってしまっている。この地方の神社は殆どがそうであるが御柱が社殿を囲んでいる。これほど多く見ると珍しくなくなる。
 五十猛命がお祀りされている。信濃国諏訪郡ではここ一社だけ。ここに五十猛命が合祀されている理由は不明。せめてお賽銭をと思ったが、注意書きがあって、「賽銭泥棒が多いので、祭礼の日以外は入れないで下さい。」とあった。さて、賽銭箱に入れられた賽銭は誰の物か?、と言う疑問であるが、それは神様のものである。神社管理者のものではないのだ。そうすると、賽銭泥棒が、「神様、頂きます。」と言って、神様が「・・・」と何も云わないとすれば、黙認したことになるのではなかろうか。賽銭を神主のものと決めてかかっていることほど神様を侮辱した話はないのでは。


お祭り

  9月 中旬日曜日 1日間


五十猛命ホームページ
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