越中富山の五十猛命

富山県東砺波郡井波町高瀬 高瀬神社

富山県礪波市中央町 五十橿神社

富山市高来65 高来社

富山市水橋辻ケ堂827 高麗神社

富山県富山市布尻867 布尻神社

富山市掛尾町595 弥彦神社

富山市掛尾町595 布勢神社


 高瀬神社

富山県南砺市高瀬291 its-mo

交通案内
JR高岡駅から城端線福野駅より井波行きバス高瀬下車
(バスは2時間に一本程度、taxi 1800円) 

祭神
大己貴命 配 天活玉命、五十猛命

由緒
 式内社、越中一の宮。
 五十猛命が祀られているのは高瀬の大神が高麗から渡来してきたからとの説がある。確かに富山には高麗社、高来社があってやはり祭神は五十猛命である。
 能登町に伊夜比神社「大屋津媛命」が鎮座している。異国からの渡来者はまず半島の小島に拠点を設け、それから列島内部に入ってきたはずであり、対馬−筑紫、壱岐−出雲のような関係が能登ー砺波にもあったのであろうか。
 弥生時代以降には多くの渡来人がやってきている。その中に五十猛命を奉祀する一群がいても不思議ではない。皇室でさえそのように言われているご時世である。日本人はコスモポリタンであるのだ。
 創建は七世紀と富山県の歴史散歩には記載されているが、神社でいただいた栞によれば、景行天皇の時代に鎮座したとの説も紹介されている。


お姿
 八乙女山を望む位置に鎮座、北には砺波平野が広がる。 境内には樹齢数百年の杉の巨木の杜がある。これが神社の真骨頂である。 加えて本殿も厳かな姿で社叢の中に鎮座している。気持ちの落ち着く神社である。 木の彫刻の産地らしく社殿の彫りも見事である。
 


拝殿


本殿と社叢


拝殿の木彫り



お祭
 
3月 春分 春季皇霊祭
 4月 3日 神武天皇祭
 4月10日 春季祭
 5月 献穀田御田植祭
 6月10日 祈年穀祭
 6月30日 夏越大祓
 7月22日 除熱祭
 8月16日 中禮祭
 9月13日 例祭
 9月 献穀田抜穂祭
 9月 秋分 秋季皇霊祭
10月17日 神嘗祭

高瀬神社神社公式HP


 五十橿神社
富山県砺波市中央町4-12 ゼンリン


鳥居

交通案内
JR高岡駅から城端線砺波駅 西北5分 神明宮隣 

祭神
五十猛神、二郎兵衞命

由緒
 不詳。
 この砺波平野一帯は旧石器時代から縄文時代弥生時代と連綿と遺跡が続いている。人の営みはとぎれていない。また朝鮮半島や九州、出雲からの文化の移動の跡も見出されている。 また古代からの交通の要所でもあった。
 砺波は散居集落の地域で、家々は「かいよう」と呼ばれる高い垣根で囲まれている。八乙女山から吹き付ける「いなん風」から家を守るためである。 


お姿
 砺波平野の中央に鎮座、ここでは五十猛命は農耕の神であろうか。
 神明宮と向き合って鎮座している。
 天照大神と背中合わせには乗鞍頂上に朝日神社と乗鞍本宮がある。 皇祖神と出雲系の社殿や鳥居の差が対照的に見える二座である。


社殿
 



お祭
 
6月10日 例祭



高麗神社 富山市水橋辻が堂827
高来社 富山市高来


交通案内
北陸線水橋駅 北へ1kmで 高麗神社ゼンリン
そこから常願寺川をはさみ西へ1kmで 高来社ゼンリン


祭神
五十猛命

由緒
 日本書記に五十猛命は父神素盞嗚尊とともに木種を持って半島の曽尸茂梨に降臨したが、ここには播かないとして、日本にまいもどったとされる。 新羅ではないかと云われており、筑紫には白木神社に五十猛命が祀られ、新羅からの渡来を思もわせる。
 富山では高麗社、高来社にこの神が祀られている事から見ると、高麗からの渡来人の崇敬を受けていた事も確かであろう。 高麗や新羅から九州や能登半島に上陸した人々が祀る神を五十猛命に付会したのかもしれない。半島からの渡来人(弥生人の祖先の大半?)は祭神を素盞嗚尊とする場合が多いが、一部には五十猛命を祭神としたのであろうか。

 水橋は奈良時代の水橋駅跡であり、古来よりの交通の要所であった。水橋郷土歴史会の出版になる「水橋の歴史」と言う冊子が第4集まで出ている。これに高麗社、高来社について書かれている。
 これによると高来社のある地域には野田遺跡があり、縄文晩期から弥生時代までの石斧や玉類が出ている。 高来は高麗の略字であり、上代この地に後に武蔵国へ移された高麗人が居住したとの推定もある。また元々「巳の神様」であったとも伝わる。
 高麗神社については、第2集で小松外二氏が詳しく述べられている。小字が辻ケ堂荒町であることから安羅にも通じる事、能登半島の阿良加志比古神社との関連、狛犬の形態、平板状の立石(神像石)等の特徴を指摘されている。また渤海國の使節の到来地でもあった関連をも考慮されている。 一方、高麗神社の御神体は今から50年前(昭和10年代?)に盗まれたとの事で、槐(エンジュ)のきれいな木像で、武内宿彌、赤ちゃんの応神天皇を抱いた神功皇后の像だったと伝わっているものであった。 

 播磨風土記によると神功皇后が新羅に赴いた際、五十猛命を船首に祀り、御船前韓国伊太神として航海の神としている。この二社も海岸に鎮座し、木の神と言うよりは船の神、渡しの神であったろう。

お姿
 どちらも東を向いて鎮座している。社域は大きくはないが木々が周辺を取り巻き、由緒を感じる風景である。高麗社にはかってヤブツバキの大木があったが、枯れてしまったとの事である。 木の神五十猛命は戦後境内の大きい木を枯らしている。紀伊の伊太祁曽神社や摂津の証誠神社の杉、ここのヤブツバキである。


高麗神社


高来社




お祭
 4月18日  高麗神社春季例祭
 8月27日  高麗神社諏訪祭
 3月 21日 高来社 鎮火祭
 4月 2日  高来社 春季例祭
11月 1日  高来社 秋季例祭


 布尻神社
富山市布尻867 its-mo


交通案内
高山本線楡原駅 赤い橋を渡り、下流へ少し行く。

祭神
大来目尊、五十猛命、饒速日命、伊弉諾尊

由緒
 十二社とも言う。富山平野から立山山系方面に行く。神通川東側に鎮座している。春になると山の神から農業の神になるのであろう。 また鎮座地からは水神や木の神の雰囲気がある。
 この神社の祭礼の獅子舞の妙技は高評がある。5月19日の御鍬様祭では近くの町長神社との間に渡御行事がある。湯立神事と呼ばれる。ユダテはイダテに転じ、五十猛命になる。


お姿
 背後に山、前に川を背負った狭い地域に鎮座、建物は相当古くなっている。


本殿


鳥居と拝殿




お祭
 4月19日  春季例祭
 5月19日  御鍬様祭 おっかさま祭り
 7月19日  鎮火祭
10月24日  秋季例祭


物部氏ホームページ


 弥彦神社
富山市掛尾町595 ゼンリン


交通案内
富山電鉄南富山駅 南西500m

祭神
天香語山命

由緒
 富山平野の中央部に鎮座。 この神社を五十猛命を祭る社とするのはいささか強引な論理になる。
 弥彦神社は弥彦神を祀るのは本来である。この弥彦神に美称の「大」をつけると大弥彦神すなわち大屋毘古神となる。五十猛命の別名である。
 神々の名は地域や時代によって変わる。もしくは、神々の役割によって、有名な神の名をつけてしまう事がある。大国主命が典型であろう。大名持名とも云われ、まさに多くの名を持つ神と呼ばれる。
 富山県神社誌には弥彦神社で祭神を天香語山命とするのは新潟の彌彦神社とここだけであると説明されている。新潟彌彦神社からの勧請であろうか。日本の開拓の歴史は西から東へであるとされるが、人の動きはまた新潟から富山へも流れる。彌彦神を奉ずる人々がやってきたのかも知れない。 現在でも富山の工場へ働きに来る新潟県人が跡を絶たない。

お姿
 周辺は町中になっている。かっては神社の前に池があった。

社殿




お祭
 4月19日  春季例祭
 5月19日  御鍬様祭 おっかさま祭り
 7月19日  鎮火祭
10月24日  秋季例祭


 布勢神社
富山県魚津市布勢爪947 ゼンリン

社号標


交通案内
魚津駅東3km 貸し自転車



祭神
五十猛命、五十日足彦命 (昭和十七年『神社明細帳』)
大彦命 (度会延経著『神名帳考証』豪族布勢氏の祖神)

由緒
 越中国新川郡の式内社。
『特選神名牒』から。
 祭神、五十猛命、今按ずる射水郡布勢神社、祭神大彦命と云伝え、又、大彦命の越国に由縁あること古典にみえたれば、この神社も大彦命を祭れるならんと思はれけれど、姑(しばらく)は旧考に従って後考を俟(ま)つ。

 『神社明細帳』には、継体天皇の時代(6世紀前期)、神社を勧請し、布勢爪大明神と唱えていたが、延喜年中に布勢神社と改称した。(神奈備注:五十猛命は別名を大屋彦命と云う。大屋彦は大彦、弥彦に化けやすい。6世紀頃は神は隠れるもので、大明神などの呼び方は後世のものである。)。

 

鳥居


お姿

 参道は長く、境内は草蒸している。真夏の参詣であり、実は神のお使いであろう「巳」さんが出迎えてくれた

 

拝殿


お祭


 3月 25日 1日間 春季例祭 [通称]春まつり
 7月 14日 1日間 除蝗祭 [通称]虫まつり
 9月 25日 1日間 秋季例祭 [通称]秋まつり

覆殿

参考 『平成祭礼CD』、『式内社調査報告17巻』


五十猛命ホームページ
神奈備にようこそ

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