九州・壱岐対馬の五十猛命

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壱岐対馬は素盞嗚尊・五十猛命が朝鮮半島へ通り、帰って来た行宮の神跡が神社となったのである。

対馬市峰町志多賀 那須加美乃金子神社

対馬市上対馬町小鹿 那須加美乃金子神社

対馬市上対馬町泉 壬神社

対馬市上対馬町豊 那祖師神社

対馬市上対馬町五根緒 曽根崎神社

対馬市上対馬町唐舟志 曽根崎神社

対馬市上対馬町河内 岩楯神社

対馬市上県町瀬田 国本神社山形神社

対馬市上県町女連 地主神社

対馬市美津島町洲藻 白嶽神社

対馬市厳原町南室 乙宮神社

対馬市厳原町小浦 志々伎神社

対馬市厳原町曲 山住神社

壱岐市郷ノ浦町小牧西触 天道神社

壱岐市勝本町立石西触 伊志呂神社

壱岐市郷ノ浦町渡良浦 保食神社

壱岐市郷ノ浦町郷ノ浦 八坂神社





 那須加美乃金子神社 
対馬市峰町志多賀字中原290番地 mapion

鳥居 扁額は金子神社。



交通案内
対馬空港からタクシー



祭神
須佐之男命  『平成祭礼CD』
進雄尊、曽尸茂梨、大屋彦神(五十猛命の別名) 『対馬神社誌』
金子神社 五十猛命   那祖師神社 素盞嗚尊   『大小神社帳』
金子神社 大己貴命   那祖師神社 非日本之神 新羅之人呼   『神社大帳』
金子神社 大屋彦神   那祖師神社 大己貴命   『明細帳』


由緒
『対馬神社誌』から。

 古は字三浦鎮座の神社にて即ち三浦大明神本山神社と崇尊奉る。神籬磐境の古社なり。右神山には村民懼れてみだりに立ちいるを禁ず。
 毎年一月二十四日を祭日として神籬磐境を村民遙拝すと雖も祭日必ず風波の災あり。且つは神託あるに依り字中原に社殿を建立して勧請す。


 金子神はもう一つの論社である小鹿より勧請したと云う。当時は山中に祭られ社殿はなく、磐座祭祀。

 貞享三年(1686)の『神社誌』では、「那祖師大明神、朝伊奈大明神、恵比須本山大明神、中原に鎮座。当地と小鹿の境の神山に本山・かなご・かなくら・北山と称される祠がある。」と記載されている。

拝殿



本殿


お姿
 海岸から少し上流に行った川沿いに鎮座。南面。大きい銀杏がある。鳥居から拝殿までは短いが、本殿は山の中腹に登っている。対馬の古社にこのタイプが目立つようだ。
 志多賀にある弥生遺跡からは、大形の勾玉が出土、更に神社には弥生時代の青銅矛十三本が保存されている。祭祀の儀器と見なされている。これらの物件の出土は当社が式内社である可能性を濃厚にしていると言える。

 川岸段上には古墳や祭礼遺跡がある。須恵器の破片も出ている。

 摂社に水神が鎮座、罔象女尊を祭る。水の働きをまとめている。

水は尊し
 水無くんばならず育たず心ある者その加減を知り水を大切に

水は美し
 冷熱に応じて虹と化し氷と変じて水晶となる

水は清し
 常に味わいて飽きず汚穢を洗い清める

水は強し
いかなる生涯にも屈せず自ら進みて大をなし他を動かす

水は恐し
人を呑み船を覆し山野を没して地表をも変貌す

水は深し
 その源神に発して大自然の道を示し波乱曲折の人生を思わしむ


水神



お祭

例祭 6月 14日  15日

参考 『式内社調査報告』、『対馬神社誌』、『平成祭礼CD』、『長崎県の地名』




 那須加美乃金子神社 
対馬市上対馬町小鹿字大浜520番地 google

鳥居



交通案内
対馬空港からタクシー



祭神
大屋彦神、大己貴命   『平成祭礼CD』
金子神社 五十猛命   那祖師神社 素盞嗚尊   『大小神社帳』
金子神社 大己貴命   那祖師神社 非日本之神 新羅之人呼   『神社大帳』
金子神社 大屋彦神   那祖師神社 大己貴命   『明細帳』


由緒
 金子神と那祖師神を合わせ祀る。金子神は神山深く祀られ、那祖師神は麓に鎮座し、神山を祭る遙拝所でもあった。那須加美乃金子神社とは那祖師の御子神の意とされる。
 『神社明細帳』には、「素盞男尊五十猛命を率い八十木種を持って韓地曾尺茂利の所に行き、其の種を植えさせ玉ひ、帰朝の時比山に八十木種を植え玉ふより繁茂し、人の入ることを深く禁ずる處にして、実に神霊の地なり。貞観十二年(870)三月被授従五位上。是則「延喜式神名帳」に載する那須加美乃金子神社也。明治七年村社に列せらる。観請不詳。」となっている。(神奈備注)曾尺茂利は曽尸茂梨。観請は勧請。
 志多賀の金子神は小鹿の当社より勧請されていった。
 『対州神社誌』に、「かなご。神体社等無之。由緒不知。神所本山大明神之神山之内有之。祭リ右同日小鹿村より勤之。此の所之落木不取。」とある。

 『三代実録』(貞観十二年(870))に、「奈蘇上金子神に従五位上を授ける。」とある。

拝殿




お姿
 東向きに鎮座、湾内。
 小鹿には古墳がない。しかし舊藩時代には祭祀が志多賀より盛大であったことで有力な式内論社となったようだ。
 巨木があるが、木の名は知らない。
 広大な神山は境外として国有林に編入された。結果として林野庁によって神山は伐採された。頂上の神所は残されていると云う。

 小鹿の地名は神功皇后の伝説に付会して牡鹿をとって饗じたことに由来と云う。(「神島記事」から)
 対馬には志賀・志古と冠した祭祀が多い。海神の祭祀に通じる地名とも考えられる。

本殿



お祭

例祭 6月 14日

参考 『式内社調査報告』、『対馬神社誌』、『長崎県の地名』、『平成祭礼CD』





 壬神社(みずのえ)
対馬市上対馬町泉字在所1417番地 mapfan

鳥居



交通案内
対馬空港からタクシー



祭神
 志古島神社 火雷命、猿田彦命 摂社 今宮神社 五十猛命
 舌崎神社  宗盛國、宗盛也


由緒
 社頭掲示から。
 壬(みずのえ)神社はもとより火徐(ひよけ)権現社であったが、大正三年神社昇格のため、志古島社と舌崎大明神が合祀され村社となった。

 室町時代嘉吉元年(1441)豊崎郡主・宗盛国は弟盛世と共に太宰府小弐武藤氏に味方し、足利将軍に属する大内氏と戦い、筑前春日山にて壮烈な戦死を遂げた。その時盛国の軍扇が舌崎海岸に流れ着いたと伝えられている。

 境内には神功皇后身ごもりの身を憩い給える「腰掛岩」が遺跡として存している。  上対馬町の自然と文化を守る会

 『対馬神社誌』から
 志古島神社
 旧村社 泉字志古島鎮座
 祭神  火雷命、猿田彦命
 由緒  此の島古の辺要の地なり 此の神を祀りて海上導の守護神とす 古より国主造営の社なり 明治七年六月社格村社に列せらる
 社殿  神殿
 境内摂社 今宮神社 祭神 五十猛命(素盞男命の御子なり) 

 舌崎神社
  旧村社 泉字舌崎鎮座
  祭神  宗刑部少輔盛国、宗兵部少輔盛世
  由緒  豊崎郡主宗刑部少輔盛国、豆酸郡主宗兵部少輔盛世少弐氏の為に大内氏と筑前春日山に戦ひ勝利を失ひ兄弟共に討ち死にす これを以て宝徳元年(1751)上県郡舌崎に社を建て盛国盛世の二霊を祭り舌崎大明神と号す 古は国王の造営の社なり 明治七年六月社格濡羅社に列せらる 昭和三年此の地に遷座す。

 『長崎県の地名』には、「貞享三年(1686)の『対州神社誌』に、今宮、志古島大明神、志多崎大明神、大悲権現、大嶽、地主、山房、太曽が記されている。」とある。

拝殿




お姿
この神社はタクシーに乗って走っていると曲がり角で突然目の前に現れた神社である。 近辺に志古島神社があることは承知していたが、それが合祀されたかたちで現れたのは不思議な気がした。但し、志古島と云う島もあり、今宮神社までもこの神社に合祀されているかどうかは不明。

 神功皇后の腰掛け石を探したが、それらしい石が三個あったが、座るのに良さそうなのは一つ。

本殿



お祭 

参考 





 那祖師神社
対馬市上対馬町豊字大多1337番地 地図

鳥居



交通案内
対馬空港からタクシー



祭神
曽戸茂利 (平成祭礼C)
素盞嗚尊 合祀 天狭手依姫命、五十猛命 (境内説明書き)


由緒 
 対馬島上県郡の那祖師神社に式内社島大国魂神社と若宮神社を合祀している。
 島大国魂神社は対馬の国魂を祀る。即ち『古事記』の島生みの段で、津島を生みたまひき。またの名を天狭手依比売といふ。による。

 『津島紀略』によると、「島大国魂神を上県郡の最高峰で第一の霊山とされる御嶽の神。」と比定している。宝暦十年(1760)の「大小神社帳」では、島頭神社とし、祭神も天日神命とし、脇宮に那祖師(素盞嗚尊)、御子若宮(五十猛命)としている。
 『長崎県の地名』によると、「明治七年、那祖師神社と若宮神社は独立した神社になった。」とのこと。

 那祖師神社は基本的には山中などに鎮座する御子神の遙拝所であり、また親神でもあったようだ。これは曽根崎神社の例でも明かであり、祭神は素盞嗚尊となる場合がある。そうすれば御子神は五十猛神で、現在も不通浜(とおらずのはま)の先に鎮座の若宮神社の祭神である。宮司さんによると、「昔は船で参詣したが、今はそれも行われなくなった。」とのこと。

 貞享三年の「神社誌」から
 那祖師大明神・若宮大明神・島頭大明神・地主・山房・矢房を祀る。」と云う。
 『長崎県の地名』には、「島大国魂、古くは島頭大明神は椎根島に鎮座、椎根津彦を祀った地と推定。瀬戸内海から朝鮮に渡る海部の重要な祭祀だった。」と書いている。

 『対馬神社誌』から
 若宮神社(上対馬町豊字難ケ浦)
 1.祭神  五十猛命
 2.由緒  五十猛命は素盞男命の御子にして韓地に渡らせ給ふ時此の地は行宮の古跡なり。後其の霊を祀り若宮神社と称す。古より国主の建立の社なり。創建年暦不詳。明治七年六月社格村社に列せらる。
 3.社殿  四尺方
 4.境内  百五十九坪
 5.氏子  四十七戸
 6.祭日  十月五日  

拝殿とそれへの石段




お姿
対馬北端の漁港の山側に東面して鎮座。不通浜は豊漁港から海岸の岩場を行くとあり、地元の方はこれ以上は行かないそうだ。

 『長崎県の地名』には、「船泊りの良い入り江に恵まれている。神功皇后が矛・剣を当地に納め、国の豊かになるを願ったと云う所伝がある。」と記す。
 九州北部の豊国・長門国の豊浦など「豊」の地は神功皇后の伝説が共通するようだ。対馬では神功皇后と豊玉姫命の祭祀は重なっているようだ。

高所の本殿



拝殿内の神社名



お祭

例祭  10月 3日

参考 『式内社調査報告』、『対馬神社誌』、『平成祭礼CD』





 曽根崎神社
対馬市上対馬町五根緒字平山188番地 mapfan



社殿から鳥居と海を見る。



交通案内
対馬空港からタクシー



祭神
五十猛命


由緒
 勧請年暦不詳。五十猛命は素盞男命の御子なり。其神跡なれば之を祀る。旧号曽根山房神社又曽根山形神社と称す。
 「神社誌」には「氏神曽根山房」とある。氏神曽根山房 神体石 高さ八寸 勧請不知。
 「神社大帳」には「曽祢山形社。或は野菩薩神と云ふ。神体紫石」とあり、この名称の曽根というのは地形状の「そね」とみられ、山房というのは町内に多いヤブサ神で、矢房と書いた例が多い。

社殿




お姿
 五根緒(ごねお 昔はごにょう)。西に天頭山。貞享三年(1686)の神社誌には、氏神曽根山房(やぼさ、やまぶさ とも 塔の崎の曾根崎神社とも)。
 海岸の風の強い場所に鎮座。付近の木々は全て地を這うように横に延びている。社殿は北向きに鎮座。


鳥居と海を見る。





お祭

例祭  11月 11日

参考 『対馬神社誌』、『平成祭礼CD』



上対馬町琴の大銀杏


 江戸時代から有名な巨木。寛政十年(1798)落雷。また昭和二十五年のキジア台風で主木が倒れたが現在も生き残っている。中央が吹っ飛んでいるがこれは一本の木。

琴の大銀杏
 





 曽根崎神社
対馬市上対馬町唐舟志字在所381番地 watchizu

神山と神社



交通案内
対馬空港からタクシー



祭神
素盞嗚男尊、雷大臣命、五十猛命


由緒
 『対馬神社誌』から。
 素盞鳴命御子五十猛命を従へ韓土へ往き給ひけるとき、御舟を寄せ玉ふ旧跡なれば神祠を建てて之を祭るあり。以上

 上記によって地名総稱を東舟志と云ふ。
 中古社号を曽根山形社或は山房社と称したり。
 大正二年十二月二十六日神社明細帳に編入せらる。

 氏神山房(やぶさ やまぶさ)今宮・地主・妙現と称した。
 氏神山房には社殿がなく、「神山江村人不入」とした。
 聖地・妙現は妙見宮で、天明期の「神社大帳」では妙剣神社とし、竜神で古くは舟志乃口津神社と称した。現在の曾根崎神社である。口津は久頭。

神殿




お姿
港の端に北向きに鎮座。神殿桁1間、梁五尺五寸、拝殿三間に三間半。境内は二十三坪と狭いが背後は神山のようだ。すがすがしさを感じる神社。
 陸続きの小島の上にも祠がある。恐らく妙見さん。

妙見さん
 



お祭

例祭  11月 1日

参考 『対馬神社誌』、『平成祭礼CD』





 岩楯神社・岩立神社
対馬市上対馬町河内字藤内ケ内43番地イ第2 its-mo

鳥居



交通案内
対馬空港からタクシー



祭神
素盞嗚命、五十猛命、蛭子命

岩の上の社殿




由緒 

 往昔、素盞嗚尊が韓土より帰り玉ふ時、此の浦に御船を寄せ玉ひしと云ふ。依って後年に至り神徳を仰ぎ祀る所なり。或いは岩瀬神社と称す。
 元来本社は」左河内の在所字岩楯に在りて神籬磐境の社なりしを後此の地に遷座し蛭児命を同殿に祀り始めて社殿を造営す。

 岩立権現社については、「神社帳」には祭神を豊玉姫とし、「紀事」は素盞烏尊、五十猛命としている。
 また、「紀事」には、次のようにも記述されている。
 社なく森の中に磐石あり、是を神位とす。川水はり余りて田畠を損うを防ぎとむるおもなる所なり、按ずるに滝には非ず、恐らくは岩楯の名よからむか、村の南二町ばかりの所にあり、間にして四寸ばかり。

本殿




お姿
 東向き。急な石段を登る。本殿は更に高い場所に鎮座。目の前は海。神社の南側は岩の多い神山に見える。

 その昔は無社殿で神山麓に神体の幣が東向きにあり、幣に対して巫女が神楽を奏した。

神山



お祭

例祭  3月 3日

参考 『式内社調査報告』、『対馬神社誌』、『平成祭礼CD』





 国本神社
対馬市上県町瀬田1番地 its-mo

鳥居



交通案内
対馬空港からタクシー



祭神
天之佐手依姫命
境内摂社
 山形神社 素盞男命、五十猛命

由緒
 『対馬神社誌』から。
 上古対馬代々の国王の寄神の霊を祭る。貞観十二年(870)従五位下国本神に従五位上を授る。其の後寛平九年(897)、永治元年(1141)叙位あり。式外社である。
 貞享三年(1686)の『対州神社誌』によれば、瀬田には熊野権現、三宝神、天台矢房がある。

拝殿




お姿
 東向きに鎮座。背後に二つの山を持つ。参道両側に杉の木が立ち並ぶ。摂社は本殿の南北に一座づつ鎮座、名が見えない。どちらかが山形神社。山形神社は矢房神社の転じた呼び方。

本殿と南側の摂社

本殿と北側の摂社



お祭

   9月  1日 例大祭

参考 『対馬神社誌』、『平成祭礼CD』





 地主神社
対馬市上県町女連85番地 its-mo

鳥居



交通案内
対馬空港からタクシー



祭神
素盞嗚命、五十武命


由緒
 小伊奈浦が於奈都羅となり、ウナツラに転じた。
 貞享三年(1686)の『神社誌』には佐奈豊軍殿(さなどいくさどん)、天台矢房(やぼさ)が記載されている。
 天明期(1781〜)の『神社大帳』には、他に荒神、恵美須の記載がある。『対馬神社誌』には、地主神社の記載はない。神社の統合か改名がなされたのであろう。

 当地にも対馬に多いうつろ船伝説がある。女神の来臨を解く神話と見なされている。当地の北の唐神にも渡来神が祀られていたのであろう。

拝殿




お姿
 海の側に鎮座。南向き。扁額には矢房神社と地主神社の名が並んでいる。社殿の東側には岩山があり、磐座信仰を残しているようだ。

本殿と背後の岩山



お祭

例祭  3月 3日

 海岸を西南に回り込めば、立石が見えたようだ。残念!
女連の立石

参考 『対馬神社誌』、『平成祭礼CD』





 白嶽神社
対馬市美津島町洲藻347番地2 地図


鳥居



交通案内
対馬空港からタクシー



祭神
大山祇神、多久頭魂神

 摂社
 五王神社 素盞嗚尊
 若宮神社 五十猛命


由緒 
 
『対馬神社誌』から。
 神籬磐境の上古制の社にして津島七岳の宗社として深林鬱蒼峻岳秀麗の地なり。古来蛇淵を中の御所と称し緑原を遙拝所となし茲に神殿を設けたり。国王の崇敬ありし神社にて洲藻の総鎮守神なり。大正十二年須茂乃久頭神社を合併。

拝殿




お姿
 平地に北向きに鎮座、広い庭。拝殿前に大きい銀杏の木。本殿の後に雑木林があり、何か神籬を思わせる。

本殿 境内に摂社は見あたらない。なお若宮神社は昔若宮山にあって若宮天神社と云い、後、現地に遷す。



お祭

例祭  9月 8日



境内摂社
 五王神社 素盞嗚尊 初め里中にあり。韓殿と云ふ。後此処に遷し奉る。
 若宮神社 五十猛命 古若宮山にありて若宮天神社と称す。後現地に遷し奉る。

白嶽
向こう側に洞窟があり、奧に祠があるという。
向かって右が雄岳、左が雌岳。

参考 『対馬神社誌』、『平成祭礼CD』





 乙宮神社
対馬市厳原町南室字在所209番地 its-mo

鳥居



交通案内
厳原港からタクシー



祭神
玉依姫命
摂社 島大国魂神社  五十猛神


由緒
 『対馬神社誌』から。
 玉依姫命は海神豊玉彦の御子なり。寛文十二年(1672)始めて神殿を造営し南室村の産土神として祭る。海上導の社、安産の神として崇敬せらる。

 「社前掲示」から。上代の海宮とは対馬のことをいい、仁位和多津美の宮はその神跡。豊玉彦命はその神跡に宮殿を造り、一男二女をもうけた。穂高見命、豊玉姫命、玉依姫命である。以下略。

拝殿




お姿
 登り口に珍しく由緒書きがある。山裾から狭い石段を登ると社殿がある。南面している。 摂社は本殿の背後の斜面に建っているが、近づけない。

 『対馬の信仰と民話』に摂社の島大国魂神社の写真が載っているが、これは周辺に木々があり、鳥居もある。従って違うものかも知れないが屋敷神のののようものを除いてこれしか見つからなかったので島大国魂神社として写真をアップした。

覆殿(神殿)



お祭
旧歴 6月 上申の日 例大祭(夏祭)
旧歴11月 上申の日 例大祭(霜月祭)



境内摂社
 島大国魂神社 須佐男命、五十猛命、曽シ茂梨  年代不詳、上県郡豊村より勧請して祭る。森林造林の神を祭る。

島大国魂神社

参考 『対馬神社誌』、『平成祭礼CD』、『社頭掲示』





 志々伎神社
対馬市厳原町小浦308番地 its-mo

鳥居



交通案内
厳原港からタクシー



祭神

豐玉姫命、十城別王命、天忍人命 合祀 大己貴命

境内摂社
 山形神社 祭神 素盞男命、五十猛命。大己貴命を祀る木根社を合祀。
 恵比須神社 蛭兒尊



由緒

 勧請年暦不詳。豊玉姫命は海神豊玉彦命の御子なり。海上導の神また安産の神なり。此の地の産土神として祭られる。
 十城別王命は日本武尊の皇子。天忍人命は天村雲命の御子、従って天火明命の孫。
 肥前国松浦郡の同名社を勧請したものと思われる。玄松子さんの志々伎神社

拝殿とその横の摂社




お姿

 西向きに鎮座。海岸近くの山裾に鎮座。

覆殿の中に本殿がある。



お祭

例祭  4月 12日

参考 『式内社調査報告』、『対馬神社誌』、『平成祭礼CD』





 山住神社
対馬市厳原町曲16番地 its-mo


二の鳥居



交通案内
厳原港からタクシー



祭神
大山祇神 合祀 素盞嗚命、五十猛命


由緒 
 由緒は不詳であるが、此の地に恵比寿神社が鎮座。昔は曲の氏神として祭って居た。曲の者は古来鶏知高浜に居住していたので、鶏知住吉神社の氏子である。
 素盞嗚命、五十猛命を祀る近隣の神社を合祀したのであろうが、不明である。
 曲村では農事は一切行わない。島唯一の海人だけの村である。『郡村誌』には、旧暦九月二十九日、氏神が出雲に旅立つ日をオデフネと称して夜通しでお見送りし、十月二十九日はオイリフネと称してお迎えする。

拝殿 向かって左側から左上に登る。




お姿

 海が目の前にある。山裾に鎮座。拝殿の横から急な石段を登ると本殿がある。

本殿への石段。



お祭

例祭  11月 1日


本殿。北西の方向を向いているようだ。

参考 『式内社調査報告』、『対馬神社誌』、『平成祭礼CD』



 保食神社
壱岐市郷ノ浦町渡良浦292 ゼンリン

鳥居


交通案内
郷ノ浦港からタクシー


祭神
保食神、素盞嗚尊、大己貴命、五十猛命


由緒
 『郷ノ浦町史』から。
 創立年代は不詳。神田浦の人々は海上の守護神として崇敬し、例大祭の10月10日には大神楽を奉献していた。

 元々現在地には金比羅神社が祀られていた所に、海岸沿いにあった保食神社を合祀したものと思われる。海岸沿いの小祠は恵比須社と刻印した石碑の横にそれらしい石像があり、保食神とは思えないが、地元では元社との表現であった。

 素盞嗚尊・五十猛神が祀られている理由はよく判らないが、壱岐島には素盞嗚尊等が半島と往復した際、立ち寄ったとの伝承も残っているようで、その関係かも知れない。

拝殿




お姿
 玄松子さんの参拝時から年月の経過があり、それから再建されている。加えて、社殿の横にあったとされる石祠は取り除かれていたようだ。それでも社殿の中はあまり変わっていない。

本殿

海岸の小祠
 



お祭

   10月 10日 例大祭

参考 『郷ノ浦町史』、『平成祭礼CD』



 伊志呂神社
壱岐市勝本町立石西触727番地 ゼンリン

鳥居


交通案内
郷ノ浦港からタクシー


祭神
素盞嗚命、大己貴命、大屋彦命、大屋姫命、抓津姫命、五十鈴依姫命


由緒
 『壱岐名勝図誌』から。
 社大明神と云った。
 当社は出雲国杵築大社と同体なり。古老伝え、往古、十二月晦日、社大明神高麗より今の立石村白石浜畳瀬に着船し給う。故、今に浜にいます。所謂、白石大明神是なり。妹神は其処より山野を越え、今の粢田に到り、坐て其の地に御殿を作る。則ち社大明神是なり。
 茲、大神はしめ粢田に到り給う。十二月晦日、深更に及び、供奉の人々、年縄もかざらず、すくり藁を枕に夜を明かす。故今に至るまで其の子孫十二月の晦日の夜、年縄をかざらず、すくり藁を枕として夜を明かす縁なり。
 式時、海人誓願をなして一夜中に海石を運び揚げて石垣をなせり。今なお存す。

拝殿




お姿
 社殿は南東向き。濃い緑の中の神社。

本殿は覆殿の中

石祠



お祭

   11月 6日 例大祭

参考 『平成祭礼CD』、『壱岐名勝図誌』



 天道神社
壱岐市郷ノ浦町小牧西触499・500番地 ゼンリン

鳥居


交通案内
郷ノ浦港からタクシー


祭神
素盞嗚尊 配祀 五十猛命、大屋姫命、抓津姫命(平成祭りCD)


由緒
 『郷ノ浦町史』(平成十年)の祭神は、素盞嗚尊、稲田姫命、足摩乳命、手摩乳命、彦火火出見尊、豊玉彦命、豊玉姫命となっている。
 この神社は古く、創立年代は不明である。
 藩主の崇敬厚く、祭日には馬廻衆が参拝し、社殿の造営の時は松浦藩から白銀五枚が献された。

 『続風土記』云う、当社は神代よりの鎮座。「古考伝」云う、天道大明神、韓国より駒牧邑大江の浜に到り給う。此の地に井泉あり。滑川と云う。其の川の傍らにて竜馬に乗り、滑木(ナメキ)の辻に到り給う。宮室を造りとどまる。大江浜の石に竜蹄の跡、今なお存す。土俗敬いて登らず。
 8月18日、御幣を立てる。亦、神幸の時、昔の御通路とて畑中を通りて大江の浜に到る。

拝殿




お姿
 参道はいささか長いと言えようか。社殿は南東向き。何故か、鳥居から下っていく構成になっている。

本殿

摂社と石祠
 



お祭

   10月 18日 例大祭

参考 『郷ノ浦町史』、『平成祭礼CD』、『壱岐名勝図誌』



 八坂神社
壱岐市郷ノ浦町郷ノ浦313 ゼンリン

鳥居


交通案内
郷ノ浦港北西300m



祭神
祇園大明神、素盞嗚尊、市杵嶋姫命、嚴嶋大明神、稚産靈命、湍津姫命(『平成祭CD』)
素盞嗚尊、五十猛命、稚産靈命(『『壱岐名勝図誌』』)

由緒
 『壱岐名勝図誌』から。
 『続風土記』云う、当社は本社(京都の八坂神社の意か?)と同体なり。
 社家云う。本居祇園大明神はハ瓦祠。(意味不明)
 正保三年(1646)内殿造立。御神像を安鎮、厳島明神も同所に遷す。
 式内にはあらねど、天祥院の時分、社地より掘り出したる鏡三面あり。銀鏡、裏に円相あり。一つの鏡は八方に浪立つように見ゆ。古代の宝物。その後、鏡は紛失。
 元亀三年(1572)以降の勧請。

 『郷ノ浦町史』から。
 本居祇園大明神は古く、神のご来降は不明であるが、例祭日には漁民を中心に神幸式・山鉾行事が盛大を極める。

拝殿




お姿
 鳥居の扁額は本居神社とあり、明治七年改とある。祇園 → 本居 → 八坂 と社名が変遷したのだろう。南面している。本殿の両側に摂社が並ぶ。
 木々は少ない。銀杏など二〜三本と西側の境に垣根の槙が並んでいる。

本殿

摂社
 



お祭

   8月 25日 例大祭

参考 『平成祭礼CD』、『壱岐名勝図誌』

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