来宮神社
熱海市西山町43-1 its-mo

交通案内
伊東線来宮駅 北すぐ

祭神
大己貴命、五十猛命、日本武命

由緒
 古くは来宮大明神と称し、明治維新後は阿豆佐和気神社と称した。式内阿豆佐和気神社の論社である。
 熱海郷の地主の神であって来宮の地に鎮座し、福の神・縁起の神として古くから信仰され祭典は、左の三柱である。
 五十猛命は素盞嗚尊の御子神とされ、尊と共に朝鮮に渡り、樹種を持ち帰り日本国土に播種した神である。当社へは和銅三年六月にまつられた。

 今から凡そ千三百年前の和銅三年六月十五日に熱海の海へ漁夫が網をおろしていたところ、一株のボク木の根がかかった。 漁師はそれを海に捨てたが、幾度もかかった。不思議に思った漁師がよく見ると神像のようにも見えたので、近くの田の畔の松の木の下に置き、麦こがしをお供えして家に帰った。 するとその夜の漁師の夢枕に神様が現れ、「我は五十猛命であるが、波の音がはなはだ耳ざわりである。 これより西方の山地に七株の楠の木があり、そこは波の音の聞こえない静かな所だから、その地に祠を立ててわれを祀れば、この里は永く栄えるに違いない。」と告げられた。 そこで目が覚めた。漁師は驚き、朝早く昨日網に入ったボクを見に行った所、神様の思し召しにかなったのか麦こがしは見えない。 漁師はそのボクを、夢のお告げの場所に運んだ。今の来宮神社の位置である。

 樹木信仰に漂着神伝説を伴っている。
 これはまた、こがし祭の由来譚である。祭りには猿田彦神が麦こがしを播きながら先導する。

 国の天然記念物に指定されている大楠は、当社の御神木(ヒモロ木)であって、太古は此の楠へ神の霊をお招きして神を祀ったいわゆるヒモロ木神社である。

 大已貴命は素盞嗚命の御子であって又の名を、大国主命、俗に「ダイコク様」と云われ古代出雲の神々が海、山を渡られて伊豆地方に進出されたときに、此の熱海の里が海、山に臨み、温泉に恵まれ風光明美にして生活条件の整っていることを愛し給い此処に住居を定めた時祀られたと伝えられている。

 日本武尊は人皇第十二代、景行天皇の御代、御東征に出陣せられ、箱根路から、此の地に軍を進められた時、住民を労り、産業を奨励した功績と、武勲を称えたゝめまつられたと伝えられる。

お姿
  境内は広い。楠木の古木が鳥居近くや本殿近く等に多くある。参詣者が多い。


拝殿


樹齢2000年の大楠


お祭
 5月 5日  大楠祭
 7月15日  例大祭
 7月15日  例大祭 神幸祭

平成祭礼データから

 古くから来宮大明神と称し、熱海郷の地主の神であって来宮の地に鎮座し、福の神・縁起の神として古くから信仰され祭典は、左の三柱である。
 @大已貴命は素盞嗚命の御子であって又の名を、大国主命、俗に「ダイコク様」と云われ古代出雲の神々が海、山を渡られて伊豆地方に進出されたときに、此の熱海の里が海、山に臨み、温泉に恵まれ風光明美にして生活条件の整っていることを愛し給い此処に住居を定めた時祀られたと伝えられています。
 A五十猛命は素盞嗚尊の御子であって、尊と共に朝鮮に渡られ、樹種を持ち帰り日本国土に播種した神であります。当社へは和銅三年六月にまつられました。
 今から凡そ千三百年前和銅三年六月十五日に熱海の海へ漁夫が網をおろしていたところ、お木像らしい物が之に入ったので不思議に思っていたところ、ふとそこに童児が現れ我は五十猛命である。此の地に波の音の聞へない七本の楠の洞があるからそこへ私をまつれ、しからば村人は勿論当地へ入り来る者も守護するからと云うと同時に童児は地に伏してしまったので、村人一同で探し当てた所が、今の此の地であり、毎年六月十五日(新暦の七月十五日)になると海岸へ出て当時を偲ぶお祭を行う。(七月の例大祭。こがし祭)当時海辺で神に麦こがしを神に供えて、尚、国の天然記念物に指定されている此の大楠は、当社の御神木(ヒモロ木)であって、太古は此の楠へ神の霊をお招きして神をまつっていました。いわゆるヒモロ木神社である事は故宮地直一、加藤玄智両博士の著書にも述べられています。
 B日本武尊は人皇第十二代、景行天皇の御代、御東征に出陣せられ、箱根路から、此の地に軍を進められた時、住民を労り、産業を奨励した功績と、武勲を称えたゝめまつられたと伝えられる。
以上


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