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由緒不詳。 宇佐神宮古文書に「宇佐神宮御方霊を出雲国仁多小鷹山に奉仕せし」との記録がある。 延宝五年(1677年)以降の本社遷宮の棟札九枚現存、また明治初年まで出雲国造より別社一例格の待遇を受けていたとのこと。 八幡神の勧請の年代は不明と云う事であるが、近隣の横田町には12世紀に石清水八幡宮の荘園となっているし、 信濃源氏の諏訪部氏が斐伊川下流の三刀屋郷、飯島氏が三沢郷に来住している。 北条時頼の兄の時輔領ともなっていたようで、この場合には鶴岡八幡宮からの勧請だろうが、中世以降、八幡宮の勧請が行われているようだ。 出雲は神々の国とされるが、出雲国風土記記載の神社の近くにはあまり他の神社は見当たらないような気がする。 作るまでもなかったと云う事だろうか。 民草の息吹を感じる風土記記事ではあるが、やはり権力者の産物、人々の神祭りへの大きい規制になっていたのかも知れない。 五十猛命を祀る由緒は勿論わからないが、横田郷には伊賀武神社や鬼神神社と云う五十猛命に縁の神社が鎮座、三澤郷にもあり、 五十猛命を奉戴する人々が住み着いて金属採取や炭焼きを行っていたのかも知れない。 小馬木鉱山はモリブデン、タングステン、輝水鉛鉱、鉄マンガン重石、水晶、ザクロ石を含む鉱石が出土していたようである。 お姿
春祭 3月29日 鬼の舌震 大馬木川沿いの渓谷にある。 『出雲国風土記』によれば,阿伊(馬木)に坐す神、玉日女命を慕って和爾(鰐)が上って来た。 玉日女命は大岩で大馬木川をせき止め,会えなくしてしまった。 和爾(鰐)の女姫に対する慕情をして”慕山”(したひやま)と云う。 渓谷沿いに歩行路がついており,時々水音がブルブルと,まるでふるえているように聞こえる。 参拝 h14.6.3 16:00 五十猛命ホームページ 神奈備にようこそ |