三澤神社(大森大明神)
島根県仁多郡奥出雲町三沢402 its-mo

鳥居

交通案内
JR 三成駅下車 西へ1km

祭神
阿遲須枳高日子根命 配 大己貴命、素盞嗚命、氣長足比賣命、少彦名命、五十猛命、別雷命、志那都比古命、志那都比賣命
摂社
原田八幡宮「譽田別命」
事代主社「事代主命」
蚕養神社(こがいじんじゃ)「蠶養國大神」
加茂神社「分雷命」
高守神社「大己貴命、少彦名命、五十猛命」
狼神社「祭神不詳」
社日社「天照大神、大己貴命、少彦名命、宇賀魂命、埴安姫命」

拝殿

由緒
 仁多郡の延喜式内社二座の一。
 この地域を支配した飯島氏が後に三沢氏と改め、尼子氏の登場までは奥出雲の実力者であった。 三沢氏は16世紀初頭には東隣の垂涎の的であった横田荘を手に入れ、藤ヶ瀬城を拠点とし、もう一つの式内社伊賀多氣神社を再興している。

 古代の三沢郷
 大穴持命の子、阿遲須枳高日子根命は成人するまで昼夜泣き続けていた。大穴持命は夢に祈願して、子供に問うたところ、 御沢で水浴をすると直るとのことであった。三沢の語源説話である。
 なお、鉱毒におかされた聾唖者であったとして、妊婦はこの濡等の米を食べない風習があったそうである。 本当の所は、鉄の産地の稲でとれる米はうまいそうである。

 出雲国造が神賀詞を奏上するべく朝廷におもむく際、三沢の泉水で禊ぎをおこなったという。

お姿
 村のはずれの小高い山腹に鎮座、

神明造の本殿と拝殿

摂社 足守社、荒神社は木に籬のみの始原的な姿

お祭り

例祭  四月十一日

出雲国風土記 仁多郡[にたののこほり]から

仁多郡
合はせて郷[さと]四 里[こざと]一十二
 三處郷[みところのさと] 今も前[さき]に依りて用ゐる。
 布勢[ふせ]郷 本の字は布世[ふせ]。
 三澤[みざは]郷 今も前[さき]に依りて用ゐる。
 横田[よこた]郷 今も前[さき]に依りて用ゐる。
  以上四、郷別[さとごと]に里[こざと]三。
仁多と號[なづ]くる所以[ゆゑ]は、所造天下大神大穴持命[あめのしたつくらししおほかみおほあなもちのみこと]、詔[の]りたまひしく、 「此の国は大きくも非ず、小さくも非ず、川上[かはかみ]は、木の穂[ほさ]し加布[かふ](交ふ)。 川下[かはしも]は、河志婆布這[かはしばふは]ひ度[わた]れり。是[こ]は爾多志枳小国[にたしきをくに]なり」と詔りたまひき。 故[かれ]、仁多と云ふ。

三處郷[みところのさと]。即ち郡家[ぐうけ]に屬[つ]けり。大穴持命[おほあなもちのみこと]、詔りたまひく、「此の地[ところ]の田好[よ]し。 故[かれ]、吾[あ]が御地[みところ]の田」と詔りたまひき。故[かれ]、三處[みところ]と云ふ。

布勢郷[ふせのさと]。郡家の正西[まにし]一十里なり。古老の傳へに云へらく、大神命の宿[ふせ]り坐[ま]しし處なり。故[かれ]、布世[ふせ]と云ふ。神亀三年に、字を布勢と改む。

三澤郷[みざはのさと]。郡家[ぐうけ]の西南二十五里なり。大神大穴持命[おほかみおほあなもちのみこと]の御子[みこ]、阿遅須伎高日子命[あぢすきたかひこのみこと]、御須髪八握[みひげやつか]に生[お]ふるまで、晝夜[よるひる]哭[な]き坐[ま]して、辞[みこと]通[かよ]はざりき。 爾[そ]の時、御祖命[みおやのみこと]、御子を船に乗せて、八十嶋[やそじま]を率巡[ゐめぐ]りて宇良加志[うらかし](慰[うら]かし)給へども、猶哭[な]き止みたまはざりき。  大神、夢[いめ]に願[ね]ぎたまひしく、「御子の哭[な]く由[よし]を告[の]りたまへ」と夢に願[ね]ぎ坐[ま]しき。その夜、御子の辞[みこと]通[かよ]ふと夢見坐ししかば、則ち[さ]めて問[と]ひ給ふに、爾の時、「御澤[みざは]」と申したまひき。 爾[そ]の時、「何處[いづく]をか然[しか]云ふ」と問ひ給へば、即[やが]て御祖[みおや]の前を立ち去り出て坐して、石川[いしかは]を度[わた]り、坂上[さかがみ]に至り留まりて、「是處[ここ]ぞ」と申したまひき。 爾[そ]の時、其の澤[さわ]の水沼[みぬま]出[い]だして、御身沐浴[みみそそ]ぎ坐しき。故[かれ]、国造[くにのみやつこ]、神吉詞[かみよごと]奏[まを]しに朝廷[みかど]に参向[まゐむ]かふ時、其の水沼[みぬま]出[い]だして用ひ初[そ]むるなり。 此[ここ]に依りて、今も産婦[はらめるおみな]、彼[そ]の村の稲を食[くら]はず。若し食へば、生[う]まるる子已[すで]にもの云[い]はず。故[かれ]、三澤[みざは]と云ふ。即ち正倉あり。

 横田郷[よこたのさと]、郡家[ぐうけ]の東南二十一里なり。古老の傳へに云へらく、郷の中[うち]に田四段許[よきだばかり]あり。形聊[いささ]か長し。遂に田に依りて、故[かれ]横田と云ふ。即ち正倉あり。以上の諸[もろもろ]の郷より出す所の鐵[まがね]、堅くして、尤[もつと]も雑具[くさぐさのもの]を造るに堪[た]ふ。
澤社[みざはのやしろ]  伊我多気社[いがたけ]  以上二所は、並びに神祇官にあり
玉作社[たまつくり]    須我乃非社[すがのひ]
湯野社[ゆぬ]    比太社[ひだ]
漆仁社[しつに]   大原社[おほはら]
印支斯里社[いなぎしり]  石壷社[いはつぼ] 以上八所は、並びに神祇官にあらず

以降に山、野、戀山、川、道の説明が続く。
 

其の澤[さわ]の水沼[みぬま]とは、仁多町三澤城跡の刀研池といわれる泉がその名残とされる。

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