韓神新羅神社(大浦神社)
島根県大田市五十猛町大浦2719 its-mo



交通案内
JR 五十猛駅下車、西に徒歩15分、左手に小学校を見てすぐ、大浦港におりる。海岸から鳥居が見える。バスは東大浦。



祭神
須佐之男命  配祀神 大屋津姫、抓津姫命



由緒
 半島から帰国した須佐之男命はここに留まり祀られた。さらに神別れ坂で別れた大屋津姫命、抓津姫命が後にあわせ祀られた。『谷川健一著作集T』の「海を照らす神しき光」の中で、「毎年陰暦十月になると二匹の竜蛇が上がる。階蛇は韓国からやってきた神の使いであると信じられている。」との報告が地元から奉行所にあったと記載されている。
 このように、古代から半島とのつながりの深い土地であり、 この神社を訪れた作家の金達寿氏は『日本の中の朝鮮文化 講談社文庫』の中で我が意を得たような表現をしているのが印象的であった。半島は廊下であり、大陸経由の文物の大半はしばらく留まり、通過してきたのは間違いのないところであろう。 しかしそれらは朝鮮文化といえるのだろうか。半島で発展しまた発明されたものがあれば、それは朝鮮文化であるが、伝達の役割だけなら、さらに源流にまでさかのぼって表現する必要があろう。

 大田市の西ブロックの協議会の発行になる『ふるさと読本』の中に、「石見風土記」によれば、五十猛神社と韓神新羅神社とは共に延長三年(925)に創建されたとある。社殿が造られた意味であろう。かっては神籬磐境のかたちで祭っていたものと思われる。また、『神なる王/巫女/神話』(高橋統一著)によれば、島根県宗教連盟発行の『宗教法人名簿』によると、当社の創立は享保二十年(1735)と言う。これは大浦神社から韓神新羅神社と改称した時期の意味と思われる。
 『馬の文化、舟の文化』(福永光司氏著)と言う書物では、中国北部の馬、南部の船(南船北馬)のそれぞれの特徴から日本の文化風土を論じているが、半島南に舟、北に馬が伝わったと理解できる。 列島と半島とは風習や文化を多く共有しているが、元は大陸にある場合も多いのだろう。



お姿
 港の先の登り口に鎮座している。後ろは森である。鳥居と境内社が新しい。明神造。




五十猛町に残るカリヤ(仮屋)の風習 H24.10.14 追記
 五十猛町では、カリヤを二、三ヵ所つくる。二本の大竹を中心として小竹・ワラ・コモなどをよせ集めて正月十一日につくり、十四日まで昼夜、部落の人々が中で火をたいて餅をやき、十五日早朝にこれを焼きはらう。大正の頃までは適摩郡仁摩町でもこのようなカリヤをつくったが、現在は五十猛町にのみ行われている。(『山陰の民俗と原始信仰』1965年6月刊)。


カリヤは蛇がドグロを巻いているイメージである。

出雲の五十猛命
五十猛命ホームページ
神奈備にようこそ
inserted by FC2 system