妻御前社
和歌山市和佐関戸405木村さん ゼンリン の東向かいのミカン畑


ミカン畑 左下の一画が社

交通案内
阪和線  天王寺→和歌山 (60分820円)
和歌山線 和歌山→布施屋(ほしや)
 南正面の高積山(和佐山)の北西へ 1200m


祭神
都麻津姫命 配 五十猛命、大屋都姫命



由緒
  伊太祁曽神社の社記によれば、垂仁天皇の頃、日前国縣大神影向の時、伊太祁曽神社は名草の万代宮の社地を譲り、山東へ遷座したと伝えられる。

その後の文武天皇の頃、伊太祁曽三神の紀伊国における勢いが強く、紀氏の祀る日前国縣大神が相変わらず影が薄い存在であった。従って、紀国造の紀直は、伊太祁曽三神を分祀するべく朝廷に働きかけ、三神分祀の勅命を勝ち取った。大屋都姫と都麻津姫はそれぞれ、伊太祈曾の地から離れた。

 大屋都比売は名草郡平田荘に鎮座の大屋都姫神社(現在は和歌山市宇田森)であることに異論はない。一方、都麻都姫の分祀先は不明であり、式内大社の都麻都比売神社の後裔社も定まっていない。『式内社調査報告』での論社は以下の二社。いずれも伊太祁曽神社に近すぎる。分祀の趣旨にあわない。
 和歌山市平尾 都麻都比売神社
 和歌山市吉礼 都麻都比売神社

 また和歌山市祢宜の高積神社は、延喜式内社の高積神社の後裔社とされているが、神社側と和佐地域の郷土史家の間では、都麻都姫神社の論社であると主張しており、「高積」とは、高宮とか高大明神と呼ばれたので付会されたとの立場である。名誉ある高積の名を捨てても都麻都姫に肩入れしたいのが紀州人の心意気であることは事実だが、歴史的には次の考え方が正しいものと思う。

 和歌山市和佐関戸の妻御前社こそ都麻都比売の分祀先であった。平尾の都麻都比売神社は妻神戸の地なるが故の妻御前社であり、吉礼はその勧請社と見る。

 平田と和佐関戸と伊太祈曽とはほぼ等距離であり、かつ古代の街道である熊野古道沿いにある。このような観点から関戸の妻御前社が分祀先と見る。

 ここには後に五十猛命と大屋都姫が勧請され、三社とも兄弟姉妹の神々を配祀するようになった。明治末期にこの妻御前社は高積神社に合祀された。

 その後も妻御前社を祀る人々は講を形成し、今日まで祭りを絶やしていない。




お姿
  森田さんのミカン畑の南西の一画に祠が鎮座、覆殿で大切にされている。周囲は牧の祈の木で囲われ、また行き止まりの道筋にあり、通りがかりの人間が見つけることは難しい。 偶然に出会った老人に教えて貰って妻御前社の跡地と今に至るまで祀られている事を知り得た。謝。






お祭り

 

紀伊續風土記 巻之十一 名草郡 和佐荘 関戸村から
○妻御前社  境内 周十六間
村中にあり 祀神妻津姫命 寛文記に宮三社作り五十猛命大屋津姫ノ命を合祀するならんとあり其比まては伊太祁曽の社人毎年五節供に當社に來りて神事あり 事終りて高明神に至り神拝ありしとそ社前に黒木の鳥居あり



抓津姫命を祀る神社
(平尾)都麻津姫神社
(吉礼)都麻津姫神社
(禰宜)高積神社

五十猛命ホームページ
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