(平尾)都麻津姫神社 (つまつひめ)
 和歌山市平尾957 ゼンリン
交通案内
阪和線  天王寺→和歌山 (60分840円)
貴志川線 和歌山→伊太祁曽(いだきそ)下車、北へ500m、西へ300m山沿い

祭神
都麻津姫命
合祀 平緒王子社(明治41年)


和佐王子と平緒王子の地図 33k

由緒
702年、五十猛命、大屋都姫命、都麻津姫命の三神が分遷された際の都麻津姫命神社とされている。
 熊野古道の平緒王子社とも混乱して扱われ、後年荒廃した。特に天正の兵乱では山東の地は灰燼に帰し、文書類も焼失した。
 神社の東200m程に自治会館があり平緒王子社跡の看板がある。
 都麻津姫命は五十猛命の妹神で、大屋都姫命と共に素盞嗚尊の子神とされる木の神である。 五十猛命は別名大屋毘古命で、その正妻が大屋都姫命、二位の后が都麻津姫命との解釈もある。

お姿
 小山の入り口に鳥居がある。山道は登り道であり、中腹にお社がある。 本殿はコンクリート造りの流造である。






紀伊国名所図絵から



紀伊續風土記 巻之十七 名草郡 山東荘 平尾村から
○妻大明神社  境内周二町半許
本國神名帳従四位下妻都比大神
村の西山ノ岡にあり又妻御前ともいへり此御社古は荘厳なりしに後世衰廃して今は最小祠にして形はかりを遺せるなり 又何れの時にかありけむ辨財天石を側に並へ祀れり按するに和名抄郷名を載する所妻神戸の地なる故に妻都比一坐を齋き祀れり 寛永記に正月朔日十月初亥十一月初己に毎年伊太祈曾の社人出仕し御供を備え來れり 古は社殿も荘厳にして面行七尺八寸妻行七尺三寸檜皮葺なりしに天正の兵亂に破滅せらる 其後羽柴秀長朝臣再興して社領も三段寄られしに今は皆癈して僅に舊跡を存するのみといへり 其詳なるは神社考定ノ部に載たり


高積神社
(吉礼)都麻津姫神社


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