五社神社
池田市鉢塚2丁目4番28号 ゼンリン

鳥居



交通案内
 阪急宝塚線石橋より 西へ10分一乗院を北へ3分



祭神
国常立尊 相殿 速素戔嗚尊、五十猛命、住吉大神、穴織大神
「大阪府神社資料」では五十猛神ではなく八十猛神と記している。

拝殿



由緒
  奈良時代、聖武天皇の神亀元年(724)に僧行基が、この地に多羅山若王子(釈迦院)を創建し、その鎮守社として五社神社を奉祀した。 天正年間兵火にあい焼失したと言う。
池田の里は秦氏の活躍した土地柄で、機織や造船などに従事したもよう。木材の育成には今日まで産業として盛んなようで、近くの細川神社などにも五十猛命が祭られている。
 また一乗院と言う真言宗の寺院も近くにある。

 この神社から北へ2kmにある久安寺は神亀二年(西暦725年)、聖武帝勅願で行基の開創。後に久安元年(西暦1145年)近衛帝勅願賢実により中興という古刹。

 行基は堺市家原寺が本貫地で天智7〜天平勝宝元年(668〜749)の生涯で四十九もの寺社を建てた僧で、父は高志氏。高志氏は王仁(わに)の後裔とされる西文(かわちのあや)氏の一族で、即ち百済系渡来氏族。母は河内国大鳥郡の蜂田首の出自。 灌漑利水の施設を多く作り、農業生産の向上を指導したことなどで行基菩薩と呼ばれるほど、民衆の絶大な信頼を集めたので、国も東大寺大仏建立事業には、行基の力を抜きには出来なかったと言う。 その出身と事業を描いた、家原寺所蔵の「行基菩薩行状絵伝」三幅は、国の重要文化財に指定されている。



お姿
 本殿の真後ろに古墳がある。上円下方墳と言う珍しい形で、巨大な横穴式石室を持つ。6〜7世紀頃のこの地方の豪族の墓と推測されている。鎌倉時代に作られた石造の十三重塔が玄室内にあり、重要文化財に指定されている。平成13年の参拝時、社殿は再建中であり、古墳の中へ容易に行けたが、再建後は行けない。

本殿



古墳の中の奥宮


 古墳の兆域は五社神社境内に含まれ、南西の周濠や墳丘の一部が削られている以外は累々完好な状況を保ち、周濠の形跡も明瞭である。

狛犬の顔
 


 浪速形の狛犬としては最も愛想のいい狛犬とされている。天保五年(1834)でm、体長約m、阿形の愛想がいい。砂岩。


お祭り
例祭 10月13日

大阪府神社史資料




平成17年7月23日
五十猛命ホームページ


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