平井神社
山城久世 城陽市平川東垣外79 its-mo


交通案内
 近鉄京都線久津川下車西側

祭神
 神速須佐之雄命、八十猛命、奇稲田比

 八十猛神については、他の祭神から五十猛神と見なしたが、地元では日本武尊との意見もある。 五十猛神を日本武尊に差し替えるのは武蔵の杉山神社などにも見ることが出来る。
 「八十」の付く神は八十禍津日神、八十瀬理比古神、八十萬神などがある。神武東征物語には忍坂の大室で、尾のある土雲八十建をだまし討ちにする話があるが、この土雲は神としては祀られていないようだ。 もしこの神社の八十猛が八十建ならここだけと言える。しかし鎮座する場所がおかしいこと、相殿の神々からもそれは想像しにくい所ではある。

由緒

 御神体は薬師如来像一基と仏像二基。江戸時代には牛頭天王社と呼ばれていた。
 この神社に付属した真言宗の蓮開寺があり、享保十八(1733)年には存在していた。 この寺の僧文龍は大般若経六百巻きを求め、虫干しを兼ねての輪読という独特の方式のの読経が有名である。
 この寺には頭が牛、身体が人間の抱き合った像がある。

お姿
 両側に杉や桜の植えられた長い参道をぬけると、一間社流造の本殿が鎮座、正保二年(1645)に建てられたもの。 正面の柱などに桃山時代風の彫刻がほどこされている。シイ、カシの鎮守の森もいい。
 江戸時代の明神鳥居は京都府の指定文化財。

お祭
 10月 7日 例大祭
 


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