八丈岩山(因達神山)と高岡神社
因達神山:姫路市新在家本町、高岡神社:姫路市田寺 its-mo高岡神社


高岡神社鳥居


交通

姫路県立大方面行きバス 新在家下車北へ400mで八丈岩山登り口、そこから山裾を西に回り込み1kmで神社



高岡神社祭神

應神天皇、仲哀天皇、崇道天皇、事代主命、猿田彦神、住吉大神、伊予親王、藤原夫人、宇賀魂神、市杵嶋姫神、水分神

高丘神社と同じである。



高岡神社由緒とお姿

 式内県社高岳神社分社の標識が境内にあるように、南西2kmの蛤山の南端に鎮座する高丘神社の分社である。 社殿は西向き、八丈岩山の北部の山頂を遥拝する形になっている。 しかし高岳神社の旧社地碑は南側の山頂部に置かれている。諸説があるのかも知れない。


高岡神社社殿 遠景は因達神山

お祭り 

 7月13日 夏季大祭
10月 9日 秋祭 



八丈岩山(因達神山)


山頂の祠と三つ葉ツツジ

 『播磨国風土記』の中の因達神山
 飾磨の郡 伊和の里
   昔、大汝命の子の火明命は、強情で行状も非常に猛々しかった。そのため父神はこれを思い悩んで、棄ててのがれようとした。則ち因達の神山まで来て、その子を水を汲みにやって、帰らない間に、すぐさま船を出して逃げ去った。 さて火明命は、水を汲んで帰ってきて、船が出て去ってゆくのを見て大いに怨み怒った。それで風波をまき起こしてその船に追い迫った。 父神の船は前に進むことが出来ないで、ついに打ち壊された。

 『播磨国風土記』の中の因達の里
 飾磨の郡 因達の里
  因達と称するのは、息長帯比売命が韓国を平定しようと思って御渡海なされた時、御船前(先導神)の伊太の神がこの処においでになる。だから神の名によって里の名とした。因達神山の南麓を言う。

 『射楯兵主神社由緒』の中の因達神山
  大和時代 射楯大神、飾磨郡因達里に御鎮座 八丈岩山とされる。

 『伊和神社由緒』の中の因達神山
  伊和神社の大神は伊和の地から因達神山に祀られ、射達兵主神社の祭神となった。

 大汝命と火明命の話は実に興味深いが、後にこれらの神々が因達神山に鎮座したと言う話は記載されていない。 それよりも、伊和神社、射達兵主神社の由緒と『風土記』での「伊太の神がこの地においでになる」との説話は符合しており、 伊和大神、射達兵主神、伊太の神とは同じ神をさしており、射達兵主神社の祭神の一柱である五十猛大神の事ではなかろうか。

 もうひとつ面白いのは、因達神山と蛤山の高丘神社との中間点に行矢射達兵主神社が鎮座しており、この神社は式内社の射達兵主神社の論社でもある。 そうすると高丘神社や分社の高岡神社の祭神は五十猛命であったのかも知れない。


山頂の磐座と高岳神社舊社地の石碑

 因達神山の風景

 登山道は狭く急である。それほど濃くはないが赤土が目立つ。 木々は大きくはなく、雑木林の雰囲気で、三つ葉ツツジ、山桜、木々の新芽の黄緑、新葉の赤い色など、春の山の彩りが美しい丘である。 頂上からは姫路城や蛤山、広峯山など『風土記』縁の山々が望める。 山頂とその付近には大きい岩が露出しており、神山にふさわしい。


参考書
『平成祭礼データ』神社本庁
『古代播磨の地名は語る』姫路文庫
『風土記』吉野裕訳 平凡社

神奈備神社兵庫県一覧

五十猛命ホームページ

神奈備にようこそに戻る

inserted by FC2 system