丹生川上神社中社(蟻通神社)
吉野郡吉野町小小968 its-mo


蟻通神社鳥居



交通案内
近鉄吉野線 大和上市から新子[あたらし]経由鷲屋口 東へ4km
近鉄大阪線 榛原から莵田野町経由鷲屋口→蟻通で降りると目の前



祭神
罔象女神
摂社 丹生神社 彌都波能賣神
   木霊神社 五十猛命

木霊神社の風景


木霊神社は昭和57年近くの小川郷の木材関係組合が和歌山市伊太祁曽神社から勧請された新しい神社である。



由緒
 延喜式の丹生川上神社の論社の一つで高見川流域に鎮座する。論社は他に吉野川流域の上社、丹生川流域の下社がある。 中社は蟻通神社と呼ばれていたが式内社に比定され官幣大社に列した。同時に祭神増加として上社、下社を合一、中社が中心的存在となった。
 太政官符に「人声の聞こえぬ深山の吉野丹生川上にわが宮柱を立てていつきまつれば、天下のため甘雨を降らせ、霖雨[あしきあめ]をやめよう」との神のお告げがあったので「この社を建て、古来幣と馬を奉った。 よって四至の内に神馬を放牧して、狩猟を禁止した」とある。 祈雨、止雨の神として崇められた。後に京都の貴船神社とともに幣帛、黒馬(祈雨)、また祭料、白馬(止雨)が奉幣されたが、以後は全く衰微して、場所さえ不明となった。
 神武天皇が天神の教示で天神地祇をまつり、厳甓を川に沈めて戦勝を占った聖地という。顕彰碑が摂社丹生神社の前に建立されている。
 吉野の氏族と深い由縁のあった天武天皇が、壬申の乱後、浄見原政権樹立に当たり、先の神武天皇伝承の地に当社を創祀したとされる。 

 古い祝詞の「天野吉門」の伝えによれば、神代、紀伊国伊都郡奄田村石口に天降られた丹生都比売命は紀ノ川(奈良では吉野川)沿いにこの丹生川上の地に上られ、国かかし給ひ(国見をする意)、十市、高市、宇智、紀州の幾つかの地を経て、かつらぎ町天野丹生都比売神社に鎮座とある。



お姿
 小牟漏岳の山麓、御手洗川を隔てて丹生峯に対する段丘上に鎮座する。北から三尾川、南から木津[コツ]川、東から日裏川の合流点でもある。 境内には大樹、見渡せば四方八方緑につつまれる景勝のちである。 小牟漏岳境内地にツルマンリョウ、テンダイウヤク、ツクバネなど多種の植物が自生している。
 もとは対岸の本宮山(旧地に摂社丹生神社が鎮座)に祈雨神として祀られていたと言う。
  後醍醐天皇御製 この里は丹生の川上ほど近し 祈らば晴れよ五月雨の空


本殿


摂社丹生神社



お祭
10月16日 檀尻祭
 

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