中島惣社
大阪市東淀川区東中島4丁目9-41 ゼンリン

一の鳥居    二の鳥居
一の鳥居から三の鳥居まで、500yd程度の距離。長い参道が残っている。
 

三の鳥居



交通案内
 新大阪JR東口 東へ500m南へ300m。



祭神
字賀御魂神、受保大神、大市比売神


相殿 武甕槌神、天児屋根神、姫大神、経津主神、事代主神、菅原道真公、天照大御神、速素盞嗚神、大名牟遅神、猿田彦神、少彦名神、応神天皇


大将軍社祭神 久那斗神、八衢比古神、八衢比女神、大山津見神、罔象女神、金山彦神、於冨加牟津見神


若宮社祭神 迦具土神、足名槌神、手名槌神、天宇受売神、五十猛神、大屋津比売神、市杵島姫神、大年神、御年神、楠木正成公

拝殿



中島惣社由緒略記
 古来よりの言い伝えによれば當社の創祀は、第三十六代孝徳天皇白雄二年 (西暦六百五十一年)難波、長柄豊碕に都を遷された頃五穀豊穣を、當社に祈られ給い、田園数多く下し賜わり神領(境内地)となされたとしている。しかし、かかるL當社の、慶長の末年、大坂の乱に際し兵火に依りことごとく、焼失し、僅か本社古代の絵図面一葉及び建武二年 (西暦一千三百三十五年)奉納の 「中島惣社」と記されたる木製神額のみで創祀の年月は不詳であるが、その昔中島郷の中洲にあり、田畑もようやく開け、人家も増加するに及んで周辺地域の守護神として、字賀御魂神(稲荷大神)を祭祀されたのが初めであったと伝えられている。

 また、旧摂津国西成郡北中島村及び西中島村地域(現在の東淀川区・淀川区新大阪駅前区画整理に依り分区) 四十八箇村の各氏神様の社殿は、(本社殿及び末社殿十八社の祭神)を當社(中島惣社本殿相殿及び摂社・末社殿)に合祀奉りて、「郷社中島惣社」又、各神社の親宮として、氏子・地域住民の方々また、崇敬者の皆様方の信仰厚き神社として、古今共、崇敬の念厚い旧社と古書等にも記載されている。

 戦前社殿は、本殿のほか幣殿・拝殿・社務所・神饌所・神楽殿・神輿庫・絵馬所・手水舎・及び鳳輦等があり、また、松の大木、楠の樹木等が生い茂り、昼、尚うす暗く、荘厳な社であったが、惜しくも昭和二十年六月の戦災でことごとく焼失現在の社務所は昭和四十一年に社殿は昭和四十二年に再建、その後、昭和六十二年摂社「大将軍社」並び、末社「若宮社」の改築再建であります。

 尚、先年(昭和十四年) 社域の地中約二、三尺の処より、弥生式の土器も多数発掘されている。

本殿




お姿
 台風一過の日であったが、曇っていた一日であった。この神社の存在を知ったのは、新聞記事に須賀の森のことが出ていたからである。
 新大阪駅の東側に鎮座している。境内に神社についての説明の碑があり、それを眺めていて、摂社の祭神の中に五十猛神を発見した。これはおどろきであった。新大阪の近くに五十猛神、およそ予想外の嬉しい発見であっ。た。

 神社のおかみさんから頂いた、『中島総社境内』と云う図面には、現在の若宮社の付近は、小さい祠が並んでいた。おそらくはこの中に五十猛神と大屋津比売神が祭られていたのだろう。そのいきさつはよくわからない。この図面の神社の住所が大字山口であるのが、山の入り口を示すので、植樹の神が祀られる機会があったのかも知れない。


若宮社

若宮社の五十猛神・大屋津姫神の名札


お祭り
例祭 10月18日

大阪府西成郡西中島村大字山口
郷社中島総社境内図



大阪府神社史資料、神社参拝のしおり




平成26年10月14日
五十猛命ホームページ


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