岡崎神社(おかざき)
京都市左京区岡崎東天王町51 mapfan


鳥居

交通案内
平安神宮 東北500m

祭神
素盞嗚尊、奇稻田姫命、五男三女神(五十猛命など)
摂社 雨社「大山祇命 配祀 國狹槌命、句句廼馳命、豐受媛命、罔象女命」 ほか


木立の中の社殿

由緒

 『二十二社註式』には、播磨国明石浦に垂迹した牛頭天王が同国広峰に遷り、それより北白川東光寺に入ったと見え、元慶年中(877−885)にここより(祇園)感神院へ遷し祀られたとある。
 平安時代の御霊信仰の高まりの中で京中に祀られた天王社の一つであったという。当社を東天王社と称し、西天王社は須賀神社(左京区聖護院円頓美町)である。


社殿

お姿

 東山丸太町を東へ行く。平安神宮の北側の道に当たる。道に面して鳥居がある。右側にはホテル「サンフラワー」が建っている。境内にである。本殿背後には大きい楠、杉の木が多い。


本殿



お祭り

例祭 7月16日
秋祭り 10月16日(湯立神楽)
 この日行列を整えて氏子町々へ神幸があり、旧二条城にあったと伝えられる、直径六尺(約一・八メ−トル)もある大櫓太鼓を先頭に十一基の振鉾を連ね神輿の渡御が行われる。 この振鉾のうち特に犬鷹鉾は平安時代の姿を伝える名鉾として大舎人の鵲鉾、山崎の定鉾と共に有名である。


雨の社(竜神さん) 如意ケ嶽(大文字山)にあった
 

平成祭礼データから

 社伝に桓武天皇延暦十三年(七九四年)平安京御遷都のみぎり王城鎮護のため平安京の四方に建立せられた社の一つで、都の東にあたるところから東天王と称した。
 その後社殿が炎上したため清和天皇貞観十一年(八六九年)社殿を造営し、あらためて播磨の国広峰(現在の兵庫県姫路市の北方)から上記の御祭神を迎え祀った。諸社根元記に祇園牛頭天王は播州広峯より、北白河東光寺に移されたと記されてあり、この東光寺即ち東天王であって八坂神社の創祀と関係が深い。
 また、平家物語にもこの東光寺を官幣四十一所の神社の内に加えている。
 のちに後醍醐天皇が当社を御再建になり以来室町時代には将軍足利義政等より修造があり幕府との関係も深い。
 古くから産土神として附近の氏子、崇敬者の信仰を集めていたが、殊に治承二年(一一七八年)中宮の御産の奉幣を賜ったことから安産の神として信仰せられ、現在に至るまで毎年十月の氏子祭には神輿にうこんや錦の帯を巻いて奉じ安産を祈願する信仰がある。
 亦往時の王城鎮護方除の勅願により今以って方除厄除神としての信仰者が絶えない。
 例祭は七月十六日に行われる。
 氏子祭は十月十六日で、この日行列を整えて氏子町々へ神幸があり、旧二条城にあったと伝えられる、直径六尺(約一・八メ−トル)もある大櫓太鼓を先頭に十一基の振鉾を連ね神輿の渡御が行われる。この振鉾のうち特に犬鷹鉾は平安時代の姿を伝える名鉾として大舎人の鵲鉾、山崎の定鉾と共に有名である。
 近年本殿東側のみどりの山中に荘厳且つ近代的な他に類例のない豪華な儀式殿(鶴泉苑)が完成し、年々数百組に及ぶ婚儀が挙げられ隣接のホテルサンフラワ−京都で、華やかな披露宴も行われる。

 境内には全国にも珍しい雨ノ社があり、竜神さんとも呼ばれ元如意ケ嶽(大文字山)の山中にあった祠で雨乞の神また進学の神として崇敬せられている験しの著しい御社があり、そばに竜の池と竜泉苑と称する庭園を見ることができる。
以上

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