大依羅神社(おおよさみ)
大阪市住吉区庭井町 its-mo

池側の鳥居

交通案内
大阪地下鉄御堂筋線我孫子 南東500m 阪南高校 東

祭神
大己貴命、月讀命、垂仁天皇、五十師宮(五十猛命)の四座または住吉三神、建豊波豆羅和気王 合祀 草津大歳大神、奴能太比売大神、建速須佐男大神、奇稲田媛大神、八柱御子大神、大山大神、素盞嗚尊二座

由緒
 延喜式神名帳には、摂津国住吉郡の大依羅神社四座とあるのが当社である。
 神皇皇后に、神告していわく 我荒魂は先鋒を成して兵船を導んとたくし給ふ。帰朝の後吾孫子の某をもって社を守らしむ。毘沙門の宮とも言う、と伝わる。
 祭神の建豊波豆羅別命は開化天皇と葛城垂見宿彌の女タカヒメとの間に生まれ、道守臣、忍海部造、御名部造、稲羽忍海部、丹波之竹野別、依羅阿毘古等の祖であると言う。 依羅安孫氏は住吉三神の祭の神主とされている。
 依羅連は日下部宿彌と同祖、彦坐命の後、百済人素彌志夜麻美乃君より出づる、また饒速日命十二世の孫懐大連の後とあり、 さまざまな系統があったようである。

 八十島祭りにも奉仕料を受け、住吉大社に次ぐ扱いを受けていた。
 南北朝時代に依羅氏が滅亡すると共に社運は衰えたようである。
 明治になり、式内草津大歳神社、式内奴能太比売神社など五社を合併した。

 神功皇后の出兵、住吉、池、船とこの神社の周辺木材の匂いが濃厚であり、五十猛命を奉祀する人々がこの地に住んで造船などに従事していたのであろう。

神木の楠と拝殿


お姿
  南側の参道前には依網池跡の石碑が建っている。南北に山門があり、寺院風である。参道の両側には桜の木が植えられ、その向こうは阪南高校の運動場とテニスコートである。
 境内には神木の大きい楠木がある。槙、樫など木々が多く、夏休みで近所の家族連れが蝉とりをたのしんでいた。

本殿


 泉が涌いていたらしく、その井戸跡に「たたへたる清水涸れても町に名になじみてふかし庭井の泉」と神主の和歌を刻んだ石碑がある。
神社の西南の雨乞井に龍神伝説がある。
 依羅池に龍蛇神が住んでいた。ある日河内の農夫が通りかかると、美人が声を掛けた。 「私はこの池に久しく住む龍神です。先頃より鉄具が池に沈み、我が身にさわって、傷を受けています。この鉄を取り除いてほしい。」と頼んだ。 農夫は泳ぎができないと答えると、龍神は「我が力にて水辺まで打ち出す。御身はこれを取り除き、二度と池には入らない所に運んでほしい。」と言い、 にわかに天地晦瞑となり、暴風が起こり、波は池水を捲いて天を衝くようであった。たちまち鎮み、婦人が現れた。農夫は水辺の農具の萬鍬を持ち帰り、固く封をした。 以来、祈雨の効験あらたかであった。

 摂社には御祭神名が丁寧に書かれていた。

依網池の址の碑と元の神社正門

大依羅神社と依網池の字が一字異なるのは、地名を社名とする場合には文字を一字変えておくのが神に対する礼儀であったという。 社殿は、昭和44年に元の社殿が火災で焼失、南向き社殿を東向きにして昭和46年に再建されたもので、この時に正門も北側に変更されている。

お祭
例祭 4月16日 夏祭 7月12日 秋祭 10月12日

日本の神々3(東瀬博司)白水社

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