兵主神社
滋賀県野洲郡中主町五條566 ゼンリン


兵主神社 鳥居と本殿
 



交通案内
野洲駅よりバス吉川行き兵主大社下車 北東に見える杜



祭神
八千矛神 配 手名椎神、足名椎神
境外摂社二十二社の内
吉地神社(悪王子社)祭神 五十猛命
木部神社(悪王子社)祭神 素盞嗚尊
二ノ宮神社摂社比利多神社(悪王子社)五十猛命


由緒


 慶長九年(160年)の兵主神社縁起の創祀の謂われは以下のようなものである。
 養老2年(718年)金色の異光が兵主十八郷の人々を驚愕させた。特に、五条資朝は、いかなる神の影向であろうかと思い、八崎浦におもむき、この地で夢の中で「われは不動明王である。百二十年前に衿迦羅童子を薬師如来に、制多迦童子を愛染明王に現じて天降らせた。 いま我も降臨して兵主大明神とならん」と告げたと云う。
 延喜式では野洲郡では御上神社とともに名神大社に列せられている。
 式内社の兵主神は、合計二十一座(十九社)にのぼるが、名神大社は大和国の穴師坐兵主神社と壱岐島壱岐郡兵主神社とこの兵主神社であり、この近江の社の格式が最も高い。

 兵主神は天日槍との関連が深いとされる。特に近江は天日槍の後裔とされる息長氏の拠点でもある。

 大和の古代の勢力圏は東の磯城と西の葛城との対立共立で見ていく史観がある。
 磯城ー山城ー近江ー越・若狭ー出雲ー新羅の系列と葛城ー難波ー吉備ー筑紫ー百済の系列の関係史から見ていく史観である。
 近江は大和の東の都祁ー近江の南の柘植のとつながりから若狭方面へつながり、春日・磯城系の重要な拠点であった。


兵主神社



五十猛命が祀られている神社について
 兵主神社は古くより旧「兵主十八郷」と呼ぶ周辺地域の総氏神とされていた。 この郷に大社を含め兵主二十一社が鎮座している。その中に五十猛命が祭神と伝わる悪王子が見える。
野洲郡中主町木部 木部神社
野洲郡中主町吉地 吉地神社
野洲郡中主町西河原 二ノ宮比利多神社 の三座である。木部神社の隣は錦織寺(浄土真宗)木辺派の本山である。

 兵主神社が坂本の地から当地へ遷座していると伝わっているが、兵主二十一社もまた、日吉大社の神社群からの勧請であろうと推定される。 日吉大社には実は五十猛命が見いだせない。



お姿
  広大な社域に木々が美しく、その中の朱塗りの楼門を越えて行くと威厳のある拝殿に息を呑む。 その背後に本殿が静かに鎮座している。
 現在兵主神社の庭園が発掘調査されている。地方の文化と歴史の流れを保存し伝えていくのは神社の大きい役割である。


悪王子(吉地神社)




悪王子(木部神社)





お祭
 5月 3日 4日間 例大祭(兵主祭)
11月 日 1日間 八崎神事(おこりかき)
木部神社例祭 4月 第2日曜日
二ノ宮神社 例祭 4月 第2日曜日
二ノ宮神社摂社比利多神社 御田湯祭 6月 第2日曜日

湖国の五十猛命
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