小宅神社
兵庫県たつの市龍野町宮脇287 its-mo

鳥居と長い参道

随神門



交通案内
JR姫神線 本竜野駅 南へ15分

祭神
應神天皇 配祀 神功皇后
摂社
靈神社「正豊靈神、素盞嗚尊、保食神、大歳神、五十猛尊、国常立神、少名彦命」
三神社「猿田彦神、天照大御神、天児屋根命」ほか

社殿

由緒
 『播磨国風土記』揖保郡の小宅の里に鎮座。揖保川と林田川の間の地域。元の名は、渡来漢人が住んでいたから漢部の里といっていた。小宅の秦君の娘と川原若狭の祖父が結婚し住んだ家を小宅と名付けた。とある。

 神社の由緒は『兵庫県神社誌』によると以下の通り。
 三韓征伐からの凱旋の際、御船萩原の里に碇せられし時、漢部里少宅秦公、坂王の叛逆を応神天皇に内奏せしかば、皇后これを喜し給い、楕円形の自然石を賜ひぬ。後、秦公は小宅氏を称し、彼の石を霊代として敬斎す。次いで川原の若狭の孫、智麻呂小宅の長となり、持統天皇四年、清浄の地に之を拝斎す。これ当社の創立なり。以上

 現在の靈神社の祭神は四位少将水尾民部橘朝臣以豊守神霊となっている。
 公卿で京都の上賀茂神社の社家。小宅神社の祠官として奉職、病にかかり困窮し、参拝者を枕元に招き、我が霊に茶を煎じて供進する者は、大患い忽ち直すべきなりと遺言。

摂社の鳥居


 『兵庫県神社誌』に引用の「神社明細帳」によると、靈神社には境内神社であった大地主神社、建速神社四社を昭和九年に合祀したと記している。五十猛尊が祭られている由緒は知ることができなかった。

靈神社 お茶が献じられている。

お姿
 参道は100mほどあり、両側をまださほど高くない杉の木が連なっている。式内社には名を見せていないが、由緒を感じる神社。奈良時代の寺院跡に建立されたようだ。
 随神門は18世紀後半、拝殿は寛保元年(1741)。

お祭

 例祭  10月15日

参考文献 平成祭礼データ、兵庫県神社誌、古代播磨の地名は語る  歴史地名辞典

「平成祭礼データ」の由緒

 神功皇后三韓征伐凱陣の際漢部里小宅秦公KAGO坂王の叛逆を應神天皇に内奏せしかば皇后之を嘉し給ひ楕円形の自然石を賜ひぬ後ち秦公は小宅氏を称し彼の石を霊代として之を敬齋す次いで川原の若狭の孫智麻呂小宅里の長となり持統天皇四年清浄の地に之を拝齋すこれ当社の創立なり天慶二年社殿を再建し寛保元年、天保七年本殿を屋根替し明治元年八幡宮を小宅神社と改称し明治七年二月村社に列し同十四年郷社に昇格す同三十三年幣殿拝殿を改築し大正十三年本殿の屋根替幣殿の増築をなせり。
以上
(注)KAGOは鹿の下に弓と耳
 



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