御井神社
兵庫県養父市大屋町宮本字高尾481 mapfan
大屋町の風景、大屋川と大字市場
交通案内
山陰線八鹿駅 明延行きバス 宮本下車 東へ
祭神
御井神 配 脚摩乳命、天穂日命、素盞嗚命、手摩乳命、熊野橡日命、田心姫命、奇稲田姫命、天津彦根命、天忍穂耳命、市杵島姫命、活津彦根命、湍津姫命
『神社明細帳』には、上記に加えて、大屋彦命、大屋姫命、抓津姫命 を記している。
中腹の社域
由緒(式内社調査報告19)
古記録がなく創立の年代など詳らかではない。 元は現社地より東北の御祓山頂に鎮座していたと言う。山頂周辺に宮屋敷、御井ヶ淵などの字名があるとのこと。
御祓山頂からその西南麓である現社地への遷座は天文十五年(1546年)かそれ以前と言う。
天王社、岩井明神とかよばれていたそうだ。
御井神と大屋彦神
御井神は『古事記』によれば、大国主命と八上比売との間の子で、八上比売は大国主命の適妻須世理毘売を畏れて、生んだ子を木の俣に刺したので、木俣の神とも、御井の神とも言うとある。
V字型の場所は神の出現の場所であり、また井もそうであるとの注が武田祐吉氏によってなされている。
神の出現は他に磐座や神木など幾多もあり、木俣と井戸だけではないので、御井神と木俣の神の関係はどうもよくわからない。
『古事記』の「根の堅州国」の条に確かに書いてあるのだが・・・。
大国主命が根の堅州国に逃れる際、木の国の大屋彦神の御所に来て、大屋彦神が木の俣より逃がしている物語が『古事記』に記載されている。
祭神に大屋彦神が登場するのはこの辺りの話だろうか。それならば、更に大国主命、須世理毘売、八上比売も祭神に入っているのが自然だと思う。
銅板入母屋造の本殿
お姿
明延川の西に民家の間をはいると鳥居がたっている。 しめしめと思って近づくとそこから山登りが始まる。それも2m程度の石ころと落ち葉だらけの参道である。赤土が目立つ。
標高で150m程度をつづら折れの道を登っていくとやがて、朽ち果てたような小祠が二社現れる。 また山門らしきものが見えるが、崖っぷちに建っているようだ。何となく不気味。
この辺りをカカナベ峠と言うのだろうか。神奈備峠の訛か。
摂社の八幡社の前を過ぎると、階段の向こうの左側に大きい杉の木が数本見える。町の天然記念物の夫婦杉と説明がある。
広場は大きい焚き火の跡が残っている。正月以来、掃除はされていないようだ。この立地では年寄りは簡単には来られない。
もちろん、車は無理。
明延川の上流には明延鉱山がある。明延からは一宮町の伊和神社方面に通じ、揖保川沿いの中臣印達神社を経由して瀬戸内海へ出る。
五十猛命ロードであろうか。
神社の配置
お祭り
例祭 5月3日
『式内社調査報告19』
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