出雲祝神社
埼玉県入間市宮寺1 ゼンリン

鳥居


交通案内
西武池袋線 狭山ヶ丘駅西南4.3km



祭神
天穗日命 天夷鳥命 兄多毛比命
合祀 天照皇大神 大國主命 伊弉諾命 伊弉冉命 倉稻魂命 菅原道眞 大山祇命 市杵嶋姫命 速玉男命 事解之男命 大屋毘古命
摂社
 八雲神社「建速須佐之男命」
 護国神社「高御魂命 合祀 護國の英靈」もと寄木神社。

拝殿



由緒
 武蔵国入間郡の式内社の論社である。ほかには、
出雲伊波比神社 埼玉県入間郡毛呂山町岩井2915
物部天神社国渭地祇神社天満天神社に合祀された 埼玉県所沢市北野703
川越氷川神社 川越市
 式内社の当否は別にして、当社は、景行朝日本武尊が東夷征伐の際、小手指原に至り、天穂日命・天夷鳥命を当地に祀って出雲伊波比神社と称したと云われている。
 江戸時代には寄木明神社と称され、『新編武蔵風土記稿』には、「神名帳記載の国渭地祇神社是なり。」と口碑に伝えたれど、さしたる証拠はなし。祭神は素戔嗚尊を祀ると言う。

 大屋毘古命を合祀したいきさつは不明。

本殿(覆殿の隙間が狭い)


お姿
 参道には狭い石が敷かれている。40m程。
 狭山丘陵の一角に鎮座、木々が多く、小山の上に鎮座している。古墳のようにも見えるが、素人の意見。

神楽殿


お祭
出雲祝神社例大祭  9月 29日   九日のまち

平成祀りデータ

 参拝のしおり

 人皇第十二代・景行天皇の御代、日本武尊が東夷征伐に当たられた時、当地においでになり、天稲日命、天夷鳥命を祭祀して、出雲伊波比神社と崇敬せられた社で、今からおよそ二千年も前に建てられた神社です。
 醍醐天皇の延喜五年(九〇五)に編纂された延喜式第九巻・神名帳に入間五座の筆頭として記された式内社です。社名の「祝」の文字は、小田原城主・北条氏康公からの朱印状、弘治三年(一五五七)に賜り、それ以前は現存する大宝二年(七〇二)の棟札をはじめすべて「伊波比」が使用されています。宮寺郷十八ケ村(現在の所沢市から東京都瑞穂町に至る)の総鎮守として、また江戸時代には、徳川家康公を始め、代々の将軍より十石の社領を賜り当時から隆盛な社でありました。
 なお、出雲大社とは所縁が深く、社紋も同じ亀甲剣花菱であり、いずれも結びの神、生産の神として信仰の厚いものがあります。当社の森を「寄木の森」と称しますが、出雲国の杵築湾に漂う古木を以て造られたのが寄木の造営(出雲大社)であり、天穂日命の子孫が東国に下ったときに樹種を携えてきて蒔種したのが当社の森「寄木の森」であります。明治初年には、出雲大社大宮司・千家尊福氏も参拝され、大きな額を奉納されています。
 以上

武蔵の五十猛命
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