日枝神社
埼玉県川越市上戸316-1 ゼンリン

鳥居

交通案内
東部東上線霞ヶ関駅 北600m



祭神
大山咋命、大己貴命
 合祀 大御食都命、少彦名命、大屋毘古命
摂社
 八坂神社「素盞嗚尊」
 神明社「天照大神」

拝殿



境内由緒
 後白河法皇は、永暦元年(1160)皇居の守護神である山王七社の神々を、比叡山東坂本の日吉大社から京都の東山に迎えて新日吉神宮としました。同年、河越氏は、河肥三十三郷を荘園として後白河法皇に寄進し、自ら荘官として力を振るうこととなりました。このため河越荘内(上戸)に日吉山王宮を勧請されました。
 江戸館の主である江戸氏は、河越氏の分れであることから貞治元年(1362)に江戸館を築いた時に、川越市の氏神様である上戸の新日吉山王宮(山王様)の分霊社を江戸館の鎮守社として遷し祀りました。これが東京の赤坂にある日枝神社であります。
 本殿(川越市指定文化財建造物)は、大型の一間社流造で、木割が太く、つくりはしっつかりしています。妻飾り・組物・内法長押には極彩色が施されており、背面板壁に菊花紋、側面板壁に菊水紋が画かれていた痕跡があります。装飾が控えめで、保守的・伝統的な近世全期の神社本殿の形式を伝えています。
 なお、日枝神社の由緒書きによると、本殿の造営は、貞享三年(1686)とあります。
     平成二十六年十月吉日     氏子中

 川越市文化財指定記念碑
 工芸品 懸仏  昭和四十五年
 史跡  境内  平成 十三年
 建造仏 本殿  平成二十一年
 当社は、往元日吉山王権現と称し、貞観年代(八六〇年)の頃、陸奥の国の休慶と言う修行僧が、上戸の地に立ち寄った際、神告によりこの地に社を建立した。
 永暦元年(西暦一一六〇)後白河法王が京都の東山に新日吉山神社を祀ったのにともない、永暦二年、河越重隆が河肥三十三郷を後白河法皇に寄進し、以後法皇の御領地となり、新白山王権現と称された。
 鎌倉時代、寛永年間(一二四三)北条時頼が社殿を再建する。
 明治元年、神仏分離令により日枝神社と改め、上戸村・鯨井村・的場村の三ヶ村の総神社となる。
 この度永年の願いであった本殿が、文化財に指定されたのを記念して、氏子一同で祝い、記念碑を建立し、ささら獅子舞を奉納して記念植樹を行うこととした。
          平成二十二年十月吉日

 明治四十一年県令により、村内無格社は皆境内に合祀せらる。(神明・八坂天王・愛宕・御嶽・浅間等なり)とあり、さて、大屋毘古命はどの神社から合祀されたのであろうか。

本殿は覆殿の中


お姿
 境内には大きい木々が目立つ。ひのき・かしなど。境内中央を取り囲むように点在している。その合間に摂社が鎮座している。

摂社


お祭
例祭り  10月 第三日曜日

武蔵の五十猛命
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