紀伊神社
神奈川県小田原市早川字南畑1183ー1 ゼンリン

鳥居


交通案内
東海道本線早川駅 西へ800m



祭神
五十猛命、惟喬親王
摂社 駒形社、龍宮社、牛頭社、太子社

拝殿



由緒
 社頭掲示の碑から
 早川の氏神様で、往古は木宮大権現、のち紀伊宮大権現と称され、土地の人からは「木の宮さん」と呼ばれ、箱根物産木工業の人たちに昔から崇拝されてきた神社である。  神社縁起によれば、貞観年中(859〜876)の創建で、祭神は五十猛命と惟喬親王(文徳天皇の第一皇子)とが奉祀されている。
 木地挽(轆轤師)の開発者といわれる惟喬親王は、天安二年(858)京の都を追われて伊豆(河津)に流罪となったが途中嵐にあい国府津海岸につき、早川の庄に至りこの地で没したといわれ、当時親王の付人が木地を挽いて、朝夕の奉仕の料に当てたといわれている。また、この地には「木地挽」と言う字名が現存するが、この字名はその名残りであると言う。
 なお紀伊神社の社宝である「木地椀」は室町時代の作で小田原市の重要文化財に、社叢は天然記念物にそれぞれ指定されており、中でも社殿前のクスノキは市内で最大の老木である。以上。

 木の宮さんと呼ばれたとあるが、伊豆半島にも木の宮さんが多い。祭神は五十猛神。
 惟喬親王の母は紀名虎の娘紀静子である。皇位継承争いに敗れた後に、太宰府、常陸、上野の太守を歴任後出家、近江国滋賀郡小野に隠棲したと伝わる。木地師の中に惟喬親王を祖とする伝承が全国的に見られるが、当地もその一つであろう。

本殿


お姿
 鳥居から境内び進む参詣道の上を東海道線の線路が通っている。
 これをくぐって石段を登ると鬱蒼とした木々の社叢に至る。拝殿前にクスノキの老樹が見える。
 鎮座しているのは石垣山の麓である。藩の御林であり、船材などの伐採が行われていた。
 この山の城に豊臣秀吉の小田原攻めの本営を置いたと言う。
 地域には木地挽の字名が残っている。

クスノキの老樹


お祭
例祭  4月 23日

武蔵の五十猛命
五十猛命ホームページ
神奈備にようこそ
inserted by FC2 system