尾崎熊野神社
東京都杉並区成田西3−9−5 ゼンリン


交通案内
丸の内線南阿佐ヶ谷 南へ10分

祭神
五十猛命、大屋津比命、抓津比


由緒 
 鎌倉末期、鎌倉から移住してきた武士が紀州熊野権現を勧請したと伝わる。
 『新編武蔵風土記稿』の成宗村熊野社の条には、「除地五畝小名尾崎ニアリ、社ハ二間二二間半、神体白幣・・・村内宝晶寺ノ持ナリ。」とあり、江戸時代には宝晶寺が別当を努めていました。
 明治四十一年、付近に散在していた稲荷社・猿田彦社・御霊社を境内に合祀し、現地には境内末社として祀っています。

 源頼義が奥州の乱を鎮めるべくこの地を通った際、空中に奇雲たなびく「前云奇雲の瑞兆」があり、 それによる創建であるとも伝えられている。東国を鎮める際の神として、日本武尊や坂上田村麿も武神としての五十猛命を祀っているが、それにあやかったものだろうか。
 熊野権現と五十猛命兄妹神との関係は今のところ不明である。


お姿
 地名の「尾崎」は、尾崎=小さな崎の意で、崎とは舌状にのびた台地突起部をあらわし、この辺りの地形に由来したものと考えられています。 <p> 境内からは縄文早期(井草式)の土器片、縄文前期(諸磯式)・土師器時代(鬼高式)の住居址が発掘されており、やはり太古から人が住み、聖地とされていたのかもしれない。
 樹齢400年のクロマツの大木が御神木である。

右下は神木


お祭


例大祭 9月14日

参考 境内掲示板 平成十年三月 杉並区教育委員会


武蔵の五十猛命
五十猛命ホームページ
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