筑紫神社
福岡県筑紫野市大字原田2550 its-mo


鳥居

交通案内
JR原田駅を北東700m



祭神
筑紫大明神(白日別神、五十猛命)
配 玉依姫命 坂上田村麿



由緒
 筑紫の国魂を祀る式内名神大社である。古くは近くの城山頂上に祀られていたと伝わる。
 祭神の白日別神は筑紫の神であるが、この神も朝鮮とのかかわりから見ると、光・明・火などを表す「白」がついており、ウラルアルタイ系諸族に共通する天神・祖神を示していると指摘されている。*1
 白日別神は五十猛命の別名と思われる。

 筑後国風土記に三つの地名由来がのっている。
 1.筑前筑後の間の山に嶮しく狭い箇所があり、往来の人は乗っていた鞍「革+薦」[シタクラ]を磨り尽くされた。民人はクラツクシの坂と呼んだ。

 2.この堺の上に麁猛神がいて、往来の人、半ば生き、半ば死んだと言う。その数いたく多かったという。よって、人の命尽しの神と言った。時に、筑紫君と肥君が占い、筑紫君の祖甕依姫を祝として祭らせた。それより以降は神に害はれなかったと言う。これを以て筑紫の神と言う。 (瀬藤注)五十猛命は勇猛神とされてはいるが、麁猛神と呼ばれている説はここしか知らない。

 3.その死んだ者を葬るために、木を切って棺輿を造ったので、山の木尽きてしまった。よって筑紫の国と言う。


本殿の内部



 筑紫野市の阿志岐シメノグチ遺跡は縄文遺跡で針摺の先土器が出土している。また背振山地東部の低丘陵地帯は、弥生中期の甕棺墓地の出土の中心地であり、後期の銅剣・銅矛・銅戈だけではなく、古式銅鐸も含めた青銅器生産の中心地である。 これら金属器類と朝鮮半島とは深い関係があると思えるが、弥生後期に畿内に流行する銅鐸祭祀の源流はこの筑紫である。白日別神や五十猛命の渡来伝承も青銅器生産の担い手となったであろう渡来者集団とのかかわりもあることは言うまでもない。



お姿
 丘になったこんもりとした杜の中に堂々と鎮座している。鳥居は多く、敵国調伏の額が掲げられている。鎮座地は筑前筑後を結ぶ狭くなっている要所である。


筑紫神社社殿


筑紫神社社殿



お祭り

 3月15日 春季大祭(御粥占祭)、2月に炊いた粥のカビの色合による米麦の収穫を占う。市無形文化財。
10月20日 秋季例大祭

*1 日本の神々1(奧野正男)白水社


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