妻山神社
杵島郡白石町大字馬洗(もうらい)2490 ゼンリン

鳥居


交通案内
JP白石駅 西側

祭神
抓津姫命、抓津彦命

肥前鳥居の最も美しいとされる二の鳥居 境内から東を見る

由緒

 当社を豊前坊と称したのは神仏習合の名残の修験道との習合である。
 創祀年代は古記録焼失のため不明。社伝によれば、五十猛命がカラ国から樹木の種を持って来て杵島山に播種し、杉、樟などの発芽を見てから紀伊の熊野に行った。 やがて全山が緑に覆われて木の島と呼ぶようになった。そこで五十猛命の徳を称えるため神社を創建し、妹の抓津姫命を合祀したという。

 この社伝から祭神の抓津彦命は五十猛命と言うことになる。
 宇佐神宮の創建・祭祀の辛嶋氏の伝える五十猛命の系図を示そう。
素盞嗚尊
五十猛命
豊都彦
豊津彦
都万津彦
曽於津彦
 ・・ とある。都万津彦の名が見える。この神を祭神とする神社は全国でここ妻山神社だけである。 子孫の名とは各地に勧請されていった若宮や御子神の名を言うと考えることができるようだ。
 また上宮の豊前坊の名も豊都彦・豊津彦の名から豊の国からの勧請を示唆している。


境内風景

お姿

 石造肥前鳥居があり、一の鳥居は明暦五(1,658)年、二の鳥居は50年古く慶長十三(1,608)年製で、鍋島藩城主の時の建立である。 肥前鳥居は笠木、鳥木、貫および柱は三本継ぎであり、柱は下部ほど太くなる特徴がある。

 境内の土壌の色が和歌山市の伊太祁曽神社の土と若干薄いがほぼ同じであった。杵島郡の南の藤津郡は丹沙の産地であった。

勇猛山(ゆもう)を神奈備山とするように見える。勇猛神の名で五十猛命は豊前国下毛郡の貴船神社に合祀されている。 いかにも勇猛は五十猛、勇=五十、いさ、いそ、いであろう。五十猛命を有功の神と言うのも樹木を植えたからとの説明であるが、勇ましいのイサかも知れない。
 馬洗神辺(もうらいこうのへ)は杵島山の北部、東に突出した妻山丘陵の東、妻山神社の社領であった。 神社西側の高所に弥生中期の甕棺墓群がある。また東側の妻山古墳群は古墳時代後期(6世紀後半)の遺跡である。

 社務所の前に印鑰石がある。印鑰神社をこの社の前身とする見方がある。
 肥後の国は武内宿禰と五十猛命をつなぐものがあるように思える。

楼門

社殿

お祭り
 6月30日 茅輪くぐり神事
  10月18日19日 秋季例祭、神幸祭・流鏑馬神事

肥前の五十猛命
五十猛命ホームページ
神奈備にようこそ
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