クズの神を祀る神社

 王権から土蜘蛛と呼ばれた民がいる。山に跋扈していた縄文的生活者のことだろう。彼らも焼き畑のためにそれぞれ山々を領分としていたはず。 領分を示すために大石を立ててこれを祀ったり、または天然の磐座を祀って、その形や籬の形でそれぞれが領域を認識したと思える。
石を立てたものは象形文字で「土」とした。領土の意である。上の「−」は酒を注ぐ姿という。
土蜘蛛は国巣、国樔、国栖、国主、国津、来栖、栗栖、楠、久須などとも呼ばれたものと思われる。

多頭蛇の神話は世界的に分布していたようである。



九頭の大蛇(中国と日本の神話と文明 黒羽 寧著:西田書店)から
  『三皇本紀」には、女媧の時代に水神共工が叛乱を起して大洪水となったことを次のように伝えている。

 其の末年にあたり、諸侯に共工氏あり、智刑に任じ、強を以て覇たり、而して王たらず、水を以て木 に乗す。乃ち祝融と戦い、勝たずして怒り、乃ち頭を不周山に鰯れて崩る。天柱折け、地維欽く。女媧 乃ち五色の石を錬り、以て天を補い、大竈の足を断ちて以て四極を立て、蘆灰を聚め、以て滔水を止め、 以て糞州を済う。


 「水を以て木に乗す」というのは、女嫡は木徳の王であったが、共工は水徳で、諸侯の覇者であったので、 木徳の女嫡を倒して水徳である自分が天下の王となろうとしたことをいうのである。共工は、中国のあらゆ る河川を支配していたので、白分に従わない者は洪水を起し、水攻めにして従わせるという悪辣な方法で天 下の覇者となったので、それを「智刑に任じ」、悪がしこいやりかたで諸侯を支配して覇者となったことをい うのである。そういうわけで共工の叛乱ははげしかったが、女嫡は火神の祝融に命じてこれを討伐させ、共 工は勝つことができず、怒って不周山に頭を打ちつけたので、天を支えていた天柱が折れ、地をつなぎとめ ていた地維(地綱)が切れたので、地は傾き、天に大穴があいて大雨が降り、地上は大洪水となった。そこ で女媧は、五色の石を錬って天の大穴を補い、大亀一竈一の足を切って天を支えていた四方の柱一四柱一を たて、蘆灰を以て洪水を塞いだので、洪水はおさまり、帝都の地である糞州をはじめ中国を洪水から救うこ とができたというのである。
この時一共工を討伐してしまうことができなかったので、中国では、この後度々大洪水が起ったのである。 この共工の叛乱も、『准南子』によると帝頊顓の時代であるとし、尭帝の時にも大洪水があったことが伝えら れ、先に述べたように、水官共工の話が伝えられているのである。
 この共工には相柳という家来がいた。相柳は九頭の大蛇で、いつも河の水源近くに棲み、九山に頭を差し 入れて絶えず悪水を吐き出していたという。この相柳は後に禹に斬られたが、おびただしい血が流れ、血腥く、 その地には五穀を植えることもできず、鳥獣も棲むことはできなかったという。
またこの共工には、修という子があって、父の支配している全国の河川を渡りあるき、あまねく天下を旅 して、全国津々浦々まで知りつくしていたので、旅の神、道祖神として祀られるようになったことが伝えら れている。



九頭龍とは(雷神・龍神思想と信仰 李均洋著:明石書店)から
 『楚辞・天問』に、雄九首、條忽焉在?(雄は九首なり。條忽焉(いづ)くにか在る? とある。王逸の注曰く「條忽、雷光也」と。雄はすなわち九つの首がある龍蛇であるが、この九頭龍は稲妻となって行ったり来たりしている。



日本のクズ神について(戸隠の修験道 和歌森太郎氏から)

 「戸隠山の神秘と霊威の根底を、九頭竜に置いて信じてきたことが共通に認められる」この九 頭一尾の竜とは何ものであろうか。
 このような神怪は、日本に固有の信仰のうちに観念されたものか否か間題である。一見、神話のヤマタノオロチを 思わせるけれども、大蛇というより竜と想念したものは、より後世に中国思想や仏教から潤色をうけた結果のもので あろう。するともと、この山に大蛇がいるとみられたことになる。しかし、それも尋常の大蛇ではない。そのことは クズ竜と表わされたことから考えられる。
 クズの神・九頭竜というものは、戸隠だけでなく、九頭の神、葛神として、大和、紀伊、摂津あたりに、もっと古 くから現われている。また、有名な福井市の九頭竜川については、『越前名勝志』に、「泰澄の白山の本地を祈祷の時 顕はれ給ふ九頭の竜、此川へ下り給ふ故、九頭竜川と云」との説をあげ、これは謬説だとしている。福井の九頭竜川 のいわれのことはともかく、ここで明確に水神の権化とみる九頭竜観のあったことが注意される。宮田登氏の別稿「戸隠信仰と巳待ち」にも戸隠の九頭竜の本体は蛇神であり、機能的には水神であったことが説かれている。
 しかし、日本人のあいだで水神が重視され、それが蛇の姿に観念されたにしても、それは仏教側で弁才天にもなり えた場合もあるのに、ところによってはクズ・九頭竜としてとらえられた、というのはいかなる理由によるか、その点が問題である。
 すなわち、一般の水神信仰の中から九頭竜信仰として限定された特殊条件は何かである。これについては、加賀白 山に九頭の竜が現われたとの話、戸隠に九頭竜がすんだとの話に共通する点と考えればよい。つまり、修験道の起こる山においてそれがいわれたということである。しかし、修験道の起こった山々には、多少なりとも水神信仰がふくまれていたが、そのうちには水分の神のように、里の農民たちの生産生活をうるおす灌概用水の本源をつかさどる神をもつだけのところも多い。それにたいし、とりわげ妖怪じみた九頭の竜に擬せられる山間の水神が、白山や戸隠で思われたのはなぜであろうか。
 そこで、他の地方でのクズ神、九頭の神の伝承に意をとどめてその性格を考えねばならない。大和を中心とするくず) 葛神、九頭神については幸いに、池田源太氏の論文がある。
 これによると、大和山辺郡都介野村あたりには葛神、九頭神の社が多いほかに、国津神社とよぶ杜も多い。ある国 津神杜の石灯籠には「九頭大明神」と刻まれたものもあるから、国津もまた「くず」であったとされる。さらにこれは、『延喜式』神名帳にも載る吉野の大国栖御魂神とも通じている。それは、気吹雷、響雷という名を冠したように神名帳にみえる。すなわち、雷神としてのクズ神なのである。池田式は気吹雷に風雨を伴う雷電と、響雷にすさまじしい「鳴神」の雷を区別していた古代人の思惟を認めている。前者はただ、人を驚かすだけの雷でなしに、雨をもたらして農耕をたすける生産的た力を包蔵する雷とみられたのだろうといわれる。
 ところで、池田氏によれば、大和の九頭神社のほとんどが高オカミ尊、紀伊の九頭神社もだいたいが磐排別命を祭神としている。ともに、いかにも猛烈に荒れ狂う竜蛇神であって、しかも巌壁をつんざくような性格を九頭竜神に思ってきたことを示す。このイメージは、戸隠の九頭竜神伝説にも、『流記』や『略縁起』で読まれたように、そっくりあてはまりはしないだろうか。また神話に登場する手力雄神にも通じている。大和でも、かつての九頭神社が戸隠神社となったところがあるようである。手力雄神は春日若宮にまつられたものだが、その関係で、戸隠神社も春日神社に付属したものになった。ひいて大和における春日神社の勢力圏にあった九頭神社も、戸隠神社と称するに至ったのだと池田氏は考えている。
 これにたいし、信濃の戸隠では、近世のあり方は、「戸隠明神」とは別に「九頭竜権現」が岩窟のうちにあるよう に理解されていた。おそらく中世から近世にかけての間に、戸隠神社の奥社に天手力雄命をまつるとして、これを一応切り離した形に九頭竜権現信仰を保つようになったのである。しかし、この権現が非常に神秘に思われていて、その祭りも尋常な祭り方ではすまないものだったところに、特別に古くから畏敬されてきたようすを知ることができる。『和漢三才図会』に、九頭竜権現は、
伝曰、神形九頭、而在岩窟内 以梨為神供
毎夜丑刻、未春米三升傭之疑、此当山地主神乎、為神秘勤之、又歴三年交代ス 別当天台三年苦行シテ
 とあるのが、よくそれを語っている。
 したがって、中世以前に戸隠山の主が「九頭竜」とみられたことは事実であろう。すなわちその主は雷電霹靂、た ちまちに豪雨をよぶ神怪とされたのである。このイメージが大陸伝来の竜神、竜王などの信仰が受容されてからいよいよ強調されたろうとは考えられる。おそらく密教徒のうち出したイメージであろう。しかし、その以前にも、古くから特殊な山の水神、蛇神にっいては、このような性格をつけられることもありえたのである。タカオノカミのクズ神としてである。
 日本の古語でいうと、蛇体の水神はメドチ、ミズチであった。そうした一般の水神がクズ神として性格づげられた のは、そのすむと信じられるところが、よほど神秘性の濃い、妖怪、魔性のものの充満しているところだった場合であろう。したがって、地形的に険阻で岩窟だらけの山などでは、そこにすむ蛇神が、クズの狂暴なばかりに荒れる神のように思われたであろう。戸隠山の水神は、そのように化現の彩をとって認識されやすいところだったといえよう。こうして、戸隠は水神信仰をふくんで霊山となったけれども、ただそれだけで修験の道場となったのではないのである。

 戸隠信仰を民俗信仰としてみた場合、私たちにはそれに二つの類が伝承してきたことに気づかれる。その一つは、 山間・山麓の山人たちから寄せられた信仰である。それはこの山には、ゴジ・鬼・山姥などが凄息する、怪異の霊界だとみる信仰であった。この山を中心に、芋井村(長野市)などにダィタラボッチ伝説もあり、そのことばに由る大座法師池というところもその南にはある。ダイダラポヅチとは、巨人伝説の一つで、ダィダラ坊とよぶ巨人の足跡が泉になったというところが東国に往々伝わっている。非常に大規模に大股で歩いた巨人の足跡のしるしを指したり、そこでできた山のことをいう。
 飯綱・戸隠のダイダラ坊は、小田切の小鍋を踏んだ次の足跡で、第三番目は越後の田口を踏んだという。山とその 中の池に関して成りたちの神秘不可思議を思うてできた話である。また「紅葉狩」で有名な鬼女伝説もあった。空中を歩くという天狗類似のイメージで天白さんというものが畏信されてもいる。そうした魔性ものの跳梁を信じて怖れられた山であった。
 もとよりこうした鬼や魔性の跳梁を戸隠山界隈で信ずることは、近世以降薄れていったであろう。謡曲の鬼女物 「紅葉狩」は、初期の作品と認められるものだが、その「山」が戸隠山であることは、「アドアイ」のせりふで察せら れる。しかし、作者がはじめからそこに措定していたか否かは明らかでない。ただ、信濃の戸隠山南方には、その舞台であったと確信させる類の伝承が濃い。旧柵村(戸隠村)内の裾花川流域に、鬼女紅葉の話が信じられている。
 戸隠にまっわる中世的伝説は、山の怪異を説くことに重きがおかれたといえるであろう。『元亨釈書』には、村上天 皇代のこととして釈長明が火定にはいった由を伝えている。法華経を一心に謂し、身に油を塗りまきを積んで身を焼き大往生をとげたという。その遺跡も伝えられている。そのような雰囲気が、たんたる山間の水神ではなしに、九頭竜のような表貌をとらせたのであろう。しかし、時代が下るとともに、おだやかに民生を守る水神の面が強調されるようになった。それが第二類の民俗信仰である。
 それは、戸隠を遠望できるような範囲での里人たちから寄せた信仰である。主として種池という、奥社の奥、柏原 への道近く、熔岩塊に囲まれた池があることで、雨乞いのために深く寄せられる信仰である。この信仰は、今日までなかなか盛んで、越後方面からも雨乞いに、戸隠参りするふうがある。また、周囲の村人から、戸隠を仰いで、農事の予兆をうかがうようなことも伝承されている。たとえば、田がかりの前に戸隠に雪が見えると、その年は凶作であると判断したりする。
 この類の信仰の中で、第一類の信仰に支えられて九頭竜と化した水神は、雷、稲妻をもって巌をつんざき、一瞬の うちに豪雨をもたらす怪神だけに、霊験が強く信じられていた。周囲の里人の農耕生活に偉大た恩恵を感じさせたのである。


神社一覧

陸奥(陸奥) 津軽 久須志神社「大己貴命、少彦名命」青森市沢山字平野
久須志は薬師でもあり、この混合も考えられる。

陸奥(陸奥) 津軽 久須志神社「大己貴命、少彦名神、倉稻魂命」西津軽郡森田村森田字月見野122-2 山の中に立っていた大石を背負って薬師流(現在の鎮座地)まで来たので一休みしようと思って休んだところその石が動かなくなったのでその地に祭った。

陸奥(陸奥) 津軽 久須志神社「大己貴命、少名彦神、金山比古神、金山姫神」西津軽郡鰺ケ沢町中村町字中山ノ井

陸奥(陸奥) 津軽 久須志神社「大己貴神、少彦名神」西津軽郡鰺ケ沢町一ツ森字上禿

陸奥(陸奥) 津軽 久須志神社「大己貴神、少彦名神」西津軽郡鰺ケ沢町姥袋字霜坂熊ケ沢

陸奥(陸奥) 津軽 久須志神社「少名彦名命、大己貴命、天照皇大神」南津軽郡大鰐町早瀬野字扇沢

陸奥(陸奥) 津軽 久須志神社「少彦名命」南津軽郡大鰐町島田字ゾベコ沢

陸奥(陸中) 胆沢 久須志神社「少名彦名命」胆沢郡胆沢町南都田字化粧坂16番地

陸奥(陸前) 牡鹿 久須師神社「少彦名命」牡鹿郡女川町大字飯子浜字飯子

陸奥(陸前) 牡鹿 久須師神社「少彦名命」牡鹿郡女川町大字江島字江島

陸奥(陸前) 栗原 久須志神社「大己貴命、少彦名命」原郡栗駒町栗原西沢

陸奥(陸前) 牡鹿 久須師神社「少彦名神、倉稻魂神、大名持命」桃生郡河北町尾崎字宮下

陸奥(陸前) 本吉 久須志神社「少彦名命、經津主命、武甕槌命」本吉郡志津川町字松井田

陸奥(陸前) 本吉 久須志神社「少彦名神」本吉郡志津川町戸倉字滝浜近東囲

陸奥(陸前) 本吉 久須師神社「少彦名命」気仙沼市田尻

陸奥(陸前) 本吉 二渡神社摂社久須志神社「少名彦神」宮城県本吉郡志津川町戸倉字長清水

出羽(羽後) 仙北 久須志神社「大名持神、少彦名神」仙北郡神岡町神宮寺字布晒

陸奥(磐城) 田村 久須斯神社「大名持神、少名彦神」福島県田村郡三春町大字実沢字薬師道

常陸 茨城 来栖神社「日本武尊」笠間市来栖

下総 印旛 九頭龍神社「天手力男命」印旛郡印西町別所

武蔵 多摩 九頭竜神社「天手力男命」西多摩郡桧原村 天文14年2月2日(1545年)創建

武蔵 幡羅 大我井神社摂社水神社「九頭竜大神」大里郡妻沼町妻沼

武蔵 足立 千住本氷川神社摂社久須志神社「大己貴命、少名彦命、岩長姫命」足立区千住

相模 足柄下 箱根神社摂社九頭竜神社「九頭竜大神」足柄下郡箱根町元箱根

越後 蒲原 諏訪神社「合祀 九頭竜神」白根市大字茨曽根3529番地

越後 蒲原 宇智古志神社「合祀 九頭竜大神」西蒲原郡中之口村大字打越甲2781番地

越後 蒲原 久須斯社「少名彦名命」南蒲原郡下田村大字牛ケ首562番地

越後 魚沼 久須斯神社「少彦名命」北魚沼郡広神村大字田尻279番地

越後 刈羽 佐川神社「九頭竜神」柏崎市大字善根5415番地

越中 婦負 水舞神社摂社戸隠社「九頭龍大神」富山市牧田

越中 婦負 稲荷社「配祀 九頭龍大神」上新川郡大沢野町松野

越中 砺波 戸隠神社「配祀 九頭龍大神」東砺波郡庄川町青島

若狭 遠敷 久須夜神社「大己貴命」小浜市宇久

若狭 遠敷 久須夜神社「大己貴命」小浜市堅海

     己乃須美神社 九頭龍権現と言う 福井県

甲斐 都留 北口本宮冨士浅間神社摂社國津神社「一千五百萬神」富士吉田市上吉田

信濃 伊那 八幡神社(天伯神社)「配祀 九頭竜大權現」飯田市鼎切石

信濃 安曇 八幡神社「九頭竜神」北安曇郡池田町大字池田

信濃 安曇 諏訪神社摂社九頭龍社「九頭竜大神」北安曇郡池田町大字会染

信濃 更科 八坂神社「配祀 九頭竜神」更級郡上山田町大字上山田

信濃 更科 於佐加神社摂社琴比羅社「金山彦命、九頭竜神」長野市青木島町字北町

信濃 水内 戸隠神社摂社岩戸守神社「九頭竜大神」上水内郡戸隠村大字戸隠

信濃 水内 伊勢社摂社戸隠神社「九頭竜大神」飯山市大字坂井字宮裏

信濃 水内 川合墾田神社「合祀 九頭竜大神」長野市大字川合新田

信濃 水内 更級神明大神社摂社九頭龍社「九頭竜大神」長野市大字大豆島字宮河原

信濃 水内 虫倉神社「磐長姫命」上水内郡鬼無里村大字日影字虫倉山

信濃 水内 虫倉神社「磐長姫命」上水内郡中条村大字御山里7038

信濃 水内 虫倉神社「磐長姫命」上水内郡中条村大字御山里2562

信濃 小県 別所神社摂社九頭龍社「彦竜命、高竜神、姫竜命」上田市大字別所温泉字内大門

信濃 高井 上下諏訪神社摂社九頭龍社「九頭竜大神」上高井郡小布施町大字押羽

信濃 高井 矢島往郷神社摂社九頭竜社「九頭竜大神」上高井郡小布施町大字都住字北久保

飛騨 益田 九頭龍神社「天手力男神」益田郡馬瀬村堀之内696番地

美濃 益田 久津八幡宮「應神天皇 配祀 磐長姫神」益田郡萩原町上呂

美濃 恵那 神明神社摂社九頭竜大権現社「九頭竜大權現」恵那郡坂下町坂下字握

美濃 安八 藻葛神社[もくず]「建御名方神」安八郡神戸町柳瀬字本郷052番地

美濃 武儀 葛屋神社[くずや]「須佐之男命、大日め命」加茂郡七宗町上麻生5010番地

尾張 丹羽 栗栖神社「宇麻志麻知命」犬山市大字栗栖字大平

尾張 知多 久須神社「足仲彦命、譽田別命、氣長足姫命」知多郡南知多町大字内海字楠

駿河 富士 富士山本宮浅間大社奥宮摂社久須志神社「大名牟遲命、少彦名命」富士宮市宮町

駿河 駿東 鷲頭神社摂社久須八幡宮「應神天皇」沼津市大平 ここに木曾大明神「木ノ宮大神」

駿河 駿東 厳島神社摂社九頭竜神社「彌都波賣神」御殿場市東山

駿河 駿東 迎久須志之神社[むかえくすしの]「大己貴命、少彦名命」駿東郡小山町須走地先富士山胸突

伊豆 賀茂 葛見神社[くずみ]「葛見神、倉稻魂命」「延喜式神名帳」所載の田方郡久豆弥神社に比定 伊東市馬場町

伊勢 桑名 楠神社「品陀和氣命」桑名郡長島町大字西川

伊勢 一志 國津神社「大國主大神」一志郡美杉村太郎生

伊賀 阿拝 敢國神社「大彦命、少彦名命、金山媛命」上野市一之宮877

伊賀 名張 國津神社「大己貴命」名張市滝之原

伊賀 名張 國津神社「大名牟遲神」名張市青蓮寺

伊賀 名張 國津神社「大國主命」名張市奈垣

伊賀 名張 國津神社「大國主神」名張市布生

伊賀 名張 國津神社「大己貴命」名張市長瀬

伊賀 名張 上長瀬國津神社「建速須盞男命」名張市布生川前

伊賀 名張 國津神社「大己貴命、事代主命、蛭子命」名張市上比奈知

伊賀 伊賀 花垣神社「合 乎美彌神」 式内社の乎美祢神社(九頭神社と呼ばれていた)を合祀、三重県上野市予野194

山城 相楽 西宮神社「九頭王」相楽郡木津町相楽西宮

山城 相楽 栗栖神社「菅原道眞」相楽郡笠置町笠置栗栖

山城 相楽 國栖神社[くず]「大國主命」相楽郡加茂町辻下垣外

山城 相楽 國津神社「天照皇大神」相楽郡南山城村北大河原北垣内

山城 相楽 國津神社「大國主命」摂社石神社「石長比賣命」相楽郡笠置町有市平畑

丹波 桑田 九頭神社「武内宿禰」北桑田郡京北町細野北谷

丹波 桑田 桑田神社摂社野々神社「九頭龍神」亀岡市篠山町山本北条

丹波 多紀 九頭女神社「別雷神」篠山市下篠見

丹波 多紀 八幡神社?「別雷神」篠山市市野々 大芋(おくも)

摂津 豊島 八坂神社摂社細原神社「細原神、九頭竜大神」池田市神田

和泉 大鳥 春日神社摂社九頭神神社「菅原道眞、九頭神明神」 物部氏族氏神として物部布留神社を創社し地主の神として祀った。和泉市春木町15番地

摂津 川辺 高皇産神社摂社九頭神社「渡津神」川辺郡猪名川町北田原字上山

摂津 川辺 大刀脇神社「素盞嗚命、牛頭天王、九頭大明神」川辺郡猪名川町柏梨田字ヲカンゾ12

摂津 川辺 九頭神社「九頭大明神」兵庫県川西市東多田2

河内 交野 片埜神社「素盞嗚尊 合 久須須美大神他」 近くの九頭神社を合祀 枚方市牧野坂2

河内 茨田 堤根神社「天照皇大神、素盞嗚神、大己貴神」 九頭神社と呼ばれていた 門真市大字稗島422

播磨 揖東 栗栖神社[くりす]「應神天皇」揖保郡新宮町平野字宮山

大和 添上 戸隠神社「天手力男命」元九頭神社 山添村桐山179

大和 添上 九頭神社「天手力男命」奈良市下狭川町

大和 添上 九頭神社「天手力男命」奈良市広岡町

大和 添下 小泉神社摂社九頭神神社「九頭神明神」大和郡山市小泉町
 ニオブさん 小泉町九頭神池北側 九頭明神(上記元社)

大和 山辺 九頭神社「建御名方大神」天理市長瀧町

大和 山辺 九頭神社「建御名方神」天理市下仁興町

大和 山辺 九頭神社「建御名方神」天理市苣原町

大和 山辺 小夫天神神社摂社 高 神社 別名九頭神社 桜井市小夫

大和 山辺 國津神社「大國魂命」山辺郡都祁村甲岡

大和 山辺 都祁山口神社「大山祇神」 石灯籠に九頭社の銘 山辺郡都祁村小山戸

大和 山辺 國津神社「大國魂命」摂社九頭神社「高神」山辺郡都祁村南之庄

大和 山辺 國津神社「大國主命」山辺郡都祁村白石

大和 山辺 葛神社「出雲建雄神」山辺郡都祁村藺生

大和 宇陀 葛神社「天照皇大神」宇陀郡榛原町山辺三

大和 宇陀 九頭神社「高命」宇陀郡室生村下笠間

大和 宇陀 九頭神社「高神」宇陀郡室生村無山

大和 宇陀 九頭神社「高神」宇陀郡室生村多田

大和 宇陀 海神社「豐玉姫命 配祀 九頭竜大明神」宇陀郡室生村大野

大和 宇陀 九頭神社「九頭大神」宇陀郡大宇陀町牧
由緒書きには建御名方神(久須斯神)をお祀りしている。

大和 宇陀 屑神社「衝立船戸神、道反之大神」宇陀郡大宇陀町嬉河原

大和 宇陀 御杖神社「久那斗神、八衢比古神、八衢比女神」 末社に葛明神、九頭大明神 宇陀郡御杖村神末

大和 高市 加夜奈留美命神社摂社九頭神社「九頭神」高市郡明日香村栢森

大和 高市 瀧本神社「九頭神」加夜奈留美命神社に合祀 高市郡明日香村栢森

大和 高市 天津石戸別神社(九頭龍明神)「天手力男神」高市郡高取町越智

大和 高市 葛神社「氣吹戸主命、天津兒屋根命」高市郡明日香村坂田

大和 式上 国津神社(九日神社[くにつ]「多岐津毘賣命、多紀理毘賣命、狹依毘賣命」桜井市芝

大和 式上 國津神社「素戔嗚尊」桜井市箸中

大和 式上 乘田神社合祀葛神神社「高神」桜井市白河

大和 吉野 國栖神社「石穗押別神」吉野郡下市町阿知賀

大和 吉野 久須斯神社「大水上神、久須之神、天照國照日子火明之神」吉野郡吉野町三茶屋

大和 吉野 御靈神社「國樔乃翁」 国栖翁の祖、権正政国を祀る(国栖奏発祥の古跡)吉野郡吉野町窪垣内

大和 吉野 國樔八坂神社「速須佐之男命、石穗押別命」吉野郡吉野町南大野

大和 吉野 上宮神社・國樔神社「石穗押別命」吉野郡吉野町入野

大和 吉野 久斯神社「大名持神、少名彦神、天武天皇」吉野郡吉野町志賀

大和 吉野 葛上白石神社「道俣神、岐戸神」吉野郡吉野町千股

大和 吉野 葛上神社「手力雄命」吉野郡大淀町岩壺

大和 吉野 葛神社「手力雄命」吉野郡大淀町鉾立

紀伊 名草 伊久比売神社 境外摂社に九頭神社 和歌山市市小路

紀伊 名草 伊達神社摂社楠神社 和歌山市園部1580  続風土記

紀伊 名草 八幡神社「合祀 九頭竜大神」和歌山市府中 直川荘小豆島村の星頭明神社か 続風土記

紀伊 名草 力侍神社摂社楠神社 和歌山市川辺字稲井61田井荘楠本村の楠大明神 続風土記

紀伊 名草 九頭神社 和歌山市福島

紀伊 名草 丹生神社 和歌山市栗栖1 岩橋荘岩橋村の里神社に九頭明神が配祀されていた 続風土記

紀伊 名草 志摩神社 和歌山市中之島677 九頭明神 続風土記

紀伊 名草 西天王社 名草郡中野島村の西天王社を国津明神という。続風土記

紀伊 名草 刺田比古神社 和歌山市片岡町2 九頭明神といふ 或は國津明神 続風土記

紀伊 名草 朝椋神社 和歌山市鷺の森明神丁 九頭明神といふ 続風土記

紀伊 名草 高積神社 和歌山市禰宣1557 和佐荘関戸村の気鎮神社末社に楠神社 続風土記

紀伊 名草 九頭明神社 発見! 五箇荘出島村(和歌山市朝日) 伊太祁曽神社の末社を勧請 続風土記

紀伊 名草 伊太祁曽神社末社九頭明神社 和歌山市伊太祈曽 上記の続風土記の記事から

紀伊 名草 高皇神社境外九頭龍社「九頭龍明神」和歌山市紀三井寺1006

紀伊 名草 国主神社「大國主之神」海南市多田

紀伊 名草 九頭明神社 多田郷本渡村 続風土記

紀伊 名草 廃祠の楠神多田郷岡田村(海南市岡田)続風土記

紀伊 在田 國主神社[くにす]「大國主命」有田市初島町里東山

紀伊 在田 國津神社「大己貴命」有田郡湯浅町田

紀伊 那賀 大国主神社「大国主命」那賀郡貴志川町國主
国主淵は龍神の住む池との伝承があった。

紀伊 那賀 九頭神社「素佐男命、大國主命、稻田姫命」那賀郡那賀町麻生津中

紀伊 那賀 九頭神社「須佐之男命」那賀郡粉河町荒見

紀伊 那賀 九頭東屋神社「天兒屋根命、經津主命」那賀郡粉河町杉原

紀伊 那賀 海神社「豐玉彦命、國津姫命 合祀 九頭大明神」那賀郡打田町神領

紀伊 那賀 稲荷神社「合祀 九頭竜王」那賀郡桃山町大原

紀伊 牟婁 蟻通神社摂社楠木社「地主神」田辺市湊

伯耆 汗入 日吉神社摂社國津神社「素盞嗚命」西伯郡淀江町大字西原

石見 鹿足 八幡宮摂社戸隠神社「手力雄尊、九頭龍神」鹿足郡日原町池村

備前 児島 國津神社「建日方別命」岡山市郡

備中 哲多 國主神社「大國主命」新見市上市

備中 阿賀 國主神社「大國主命」阿哲郡大佐町大字大井野

阿波 海部 楠王神社「大己貴命」海部郡海南町多良字井口

讃岐 阿野 大宮八幡宮摂社國津神社「事代主神」綾歌郡綾南町陶

讃岐 寒川 来栖神社「思兼命」大川郡長尾町前山字来栖

讃岐 鵜足 宇夫階神社摂社九頭神社「天御中主命」綾歌郡宇多津町

伊予 風早 國津比古命神社「天照國照彦天火明櫛玉饒速日尊」北条市八反地

伊予 越智 杵築神社摂社龍神社「九頭龍神」今治市砂場

土佐 幡多 来栖神社[くるす]「少彦名命」中村市

土佐 長岡 楠上神社「?」南国市十市

土佐 吾川 楠神神社・子持神社「大那牟遲命、少彦名命」吾川郡春野町

豊後 日田 國津神社「國之常立神ほか」日田市大字小迫9番地

壱岐 石田 国律意加美神社「素盞嗚尊ほか」壱岐郡郷ノ浦町本村触133

壱岐 石田 国律意加美神社「素盞嗚尊ほか」壱岐郡郷ノ浦町本村触133

壱岐 石田 国律神社「奇稻田姫命ほか」壱岐郡郷ノ浦町渡良浦1148

参考 神社本庁 平成祭りデータCD


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