足守神社 あしがみ
和歌山市東木枕 its-mo

交通案内
阪和線    天王寺→和歌山 (60分820円)
貴志川線   和歌山→山東 北側の道を西へ 自動車屋の角を北へ山沿いを行く 車は無理

祭神
足守大明神 紀伊名所図絵には 宇麻志阿志訶備比古遅神


由緒
 頂いた由緒書きから
 覚鑁上人が山東の地に到った時、古木鬱蒼寂静幽遂にして自然の霊域たるを相見たものの、田畑の割には灌漑用水が少なく、水田の水が枯れて、農民が苦しいでいたのを見て取った。 貴志と山東の間の渓谷に大池を造る事となった。 郷土の人を叱咤激励しつつ、自らも労役に服した。大池の完成を見て、郷人覚鑁上人の高徳を慕った。上人去るに当たり、桜の木で上人苦行の像を刻み胎した。 木枕(こまくら)の語源と言う。

 大池の工事中に、足を痛めて工を怠る者、日増しに増えてきたので、都の愛宕山足千現大明神を当地に勧請され、石室に奉安して足守大明神と称した。 足痛の者祈念すれば、病者平癒せざるはなかったと言う。その後、社殿を建立して観音寺と号した。以上由緒書きから

 紀伊続風土記には観音寺は浄土宗西山派西応寺の末社で、鎮守に足神社、足守神と言うとある。

 紀伊名所図絵には、足守明神祠とある。
 土人は伊太祁曽神社に流鏑馬を献上すべく来る人馬の足を損ぜざるを祈請する事から足の健やかさを守る神としているが、足守のアシは宇麻志阿志訶備比古遅神で、 古事記にある、国若く、浮かべる脂の如くして水母なす標へる時に、葦牙のごと萌え騰る物に因りて成りませる神として出る神としている。

 足守神社と観音寺の鎮座する西側には瑞雲寺西応寺が鎮座する。この二つの山は馬の鞍の様に見える事から地名は木枕となったとの説が小林国太郎氏によって説かれている。 またその周辺は山東の平野であり、往古は海であり、徐々に湿地帯となっていった。将に葦の育つ地であったと言う。紀伊名所図絵の説明に符合する。
 高麗座として、高麗国より渡来した王か神の坐す所の意との解釈もある。

 全く話は変えるが、山東の一帯は赤土の地帯であり、この様な葦の根元には水酸化鉄の鈴がなったと言う。それを熱して鉄製品を鋳造したのかも知れない。 鞴を吹くのは辛い作業であり、長期間従事していると、足を痛めると言う、足痛、穴師、製鉄に通じないかとも想像できる。
 あらはばき神が関東東北に未だ残っている。製鉄神であったのが、現在はハバキが脚絆に通じる事から、履き物の神として、まさに草履等を奉納されている零落した姿になっている。

お姿
 神仏習合の姿のまま存在している。小祠の前には藁草履が奉納されており、横には松葉杖などが納められている。 足の病の治った人々が絵馬と言えるのか、金属製の草履をひとそろい奉納している。

お祭り
 7月第一日曜日  御夢想灸施療

貴志川線沿い古代史街道
紀の国 古代史街道
神奈備にようこそに戻る
inserted by FC2 system