加茂神社
和歌山県海南市下津町下567 its-mo
鳥居
交通案内
紀勢線加茂郷駅 北東700m
祭神
別雷神 配祀 譽田別命
拝殿
由緒
下津町の下の北方に鎮座。江戸時代には「社殿壮麗にして云々」と記されているが、今日でもその様である。勧請の年代を示すような棟札はないようであるが、欽明天皇の頃と申し伝えられているが実際には不詳。
賀茂八幡両社と呼ばれていたのであるが、欽明天皇の頃と言うと八幡神社として勧請された上に加茂神が乗っかったものと思われる。
『神宮寺留書』には、奥宮は立神大明神とあり、下津町引尾宮尾75の立神社のこちであろうが、その立神社の社伝には、欽明天皇の頃、京都賀茂両大明神を勧請、下鴨神を下村に、上賀茂神を引尾村に鎮座させたとある。 地域は加茂郷と呼ばれるが、地形としては山間部の長い谷であり、そのような地形の地をカモと言うようだが、当たっているのかも。
加茂郷の鬼門の守護神の位置に鎮座。
本殿
お姿
加茂郷駅の北側の町道を数百メートル東北に行き、線路をくぐり、すぐに山の方向に再度くぐると石の太鼓橋があり、向こうに石段があり、相当登る。
本殿
お祭り
10月10日 秋季例大祭
紀伊續風土記 巻之二十五 海部郡 仁義荘 下村から
○加茂大明神社
○八 幡 宮
二社境内 東西百五十間 南北百十間
拝 殿 廰 玉 垣 鳥居二基
馬 場 御手洗橋 釣鐘堂 本地堂
末 社
伊勢両宮 氏神社 稲荷社 秋葉社 太田明神社 貴船明神社 八王子社
村の北にあり 曽根田橘本小松原中村小南梅田下村七箇村両社を以て氏神とす 社殿壮麗にして仁義濱中両荘の中大社なり 本社祭神は鴨御祖命なるへし 詳に引尾村立神社の條下に辨せり 八幡宮は天文十八年の棟札に大檀那加茂大夫春宗造立とあり此時加茂の社の側に勧請ぜるなるへし
別 當 神宮寺 請雨山龍王院
本社の坤にあり 天台宗和歌浦雲蓋院末
摂社七社
若宮社 曽根田村 片岡社 本社の南
奈良社 丸田村 新宮社 鹽津村
糺 社 小南村 稲荷社 小南村
小宮一社 梅村
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『平成祭礼データ』から
御由緒
当社は、欽明天皇三十三年(五六二)の頃、雄佐素称によって創祀されたと伝えられ、旧七か村の産土神として、旧下村と梅田村の境、花渕と称する所の鎮座する。その昔京都上賀茂神社・下賀茂神社所領に入り、後に今の土地に御祭神を遷座して、仁義の立神社を上賀茂、当社を下加茂とした。以来、この地域を加茂谷と呼ぶようになる。
戦国時代は天文十八年(一五四九)、加茂の城主加茂左近大夫春宗の勧請により、八幡神を合せてまつり、加茂氏の氏神とする。
現在では、小松原・中村・小南・梅田・下村の五字(あざ)の氏神として、五月五日の春祭には大投餅、十月十日の秋祭には御輿渡御・獅子舞奉納等で大いに賑わう。獅子舞は町の無形文化財に指定されている。
以上 |
参考 和歌山県神社誌 神社寺院大事典 平成祭礼データ
古代史街道 紀ノ国編
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