住吉神社
和歌山市元寺町1-10 地図

鳥居


交通案内
本町2丁目を東へ200m

 
祭神
底筒男命、中筒男命、表筒男命

由緒
 天正年間(1583〜)現在地の北東400mの場所に創建。戦後の昭和三十三年に現在地に規模を1/3程度として再建された。
 市内一の繁華街ぶらくり丁などを氏子として商業繁栄・交通安全の神様として崇敬されている。

拝殿

お姿
 ぶらくり丁は生活用品の多い商店街となっている。かっては呉服屋履物屋などの和装関係などの店があったが、百貨店丸正の閉鎖も重なって時代の流れの中を生き残ってきたようである。
 神社は川を背に西向きに鎮座、社務所兼宮司宅も境内にあり、狭い中にひしめいている。

本殿

お祭り
 7月30〜31日 例大祭

紀伊續風土記 巻之四 若山上 若山神社部 内町から

住吉社   境内周六十一間  禁殺生
  本 社 方五尺外屋方二間餘   拝 所   舞 臺  鳥 居
   本地堂 薬師   大師堂   勧喜天堂
  末社六社
   愛宕社  勝手社  八幡宮
   稲荷社  金毘羅社 天満宮
    別当  瑞松山利益院 古義真言宗京勧修寺末
 城北住吉町にあり 内町の内本町通より東の産土神なり 南は三木町掘詰より北は本町五丁目は止まる 此社舊三木町掘詰の邊にあり 天正中米屋町の邊に遷す 後今の地に遷る 慶長六年町割の時ならむ 

『平成祭礼データ』から


参拝のしおり 御由緒

 住吉神社は天正年間より市内住吉町(現在の市立本町小学校の所)に御鎮座していたが、今回の戦災により今の地に遷座された。現在の本殿は昭和二十三年七月に再建されたもので、本町地区並に広瀬地区の産土神として人々の深い信仰の的になっている。
 住吉三柱の神は伊弉諾尊が日向の橘小戸の海水で、黄泉国に於て受けられた汚れを祓除されたと時に生れ、神功皇后が新羅を征するに当たり、その「和魂は御身を守り、荒魂は御船を導き奉らん」との御神託があって、皇后は新羅王を御討征され新羅より凱旋された後、全国津々浦々に住吉神社を奉斎し、当社もその中の一社に含まれている。
 当神社の御祭神は古来より禊ぎ祓いの神であり、神道では最も重要な「みそぎ」を司る神である。この「みそぎはらい」の信仰、これを媒介として人々の一層の新生を期待してその生命を守り、新しい息吹きを送る神として古来より海路を守る神様、商売繁盛を守る神様として広く知られている。
 御本殿は神社建築上特殊の様式で、いわゆる「住吉造」と称せられ、御屋根は直線形を成して置千木と五本の堅魚木をそなえている。
 又鳥居は「住吉鳥居」と呼ばれる特有な角柱の鳥居である。毎年七月三十一日が例祭で、大阪の住吉大社と同じである。当神社では夏祭りとして一番にぎやかなお祭りに当り、又市内各神社夏祭りの最後を飾る祭りとして「三十、三十一日の宵は住吉さんへ」と広く市民の方々に知られている。市内随一の繁華街ぶらくり丁が氏子の中心となっているため、大変にぎやかで楽しい夏祭りとなっている。
 以上

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