中言神社(なかごと)
海南市黒江933 its-mo
交通案内
阪和線 天王寺→海南 ( 分 円) 和歌山行きのバスで黒江 南へ15分
阪和線 天王寺→和歌山(60分 820円) 海南方面行きバスで黒江 南へ15分
祭神
名草彦命、名草姫命、八王子命
由緒
名草彦命、名草姫命は上代のこの地域の王であったが、磐余彦や紀氏に攻め込まれて滅び去った。両命は和歌山市吉原に祀られているが、
後に、この神々を勧請したものである。先に八王子命が祀られていたされているが、名草姫命にちなんで中言神社と称した。
中言とは、神と人との間を取り持つ意味で、名草姫命はまさにシャーマンであった。実際の統治は名草彦命が行っていたのであろう。
古代の統治方式として、魏志倭人伝の卑弥呼と男弟の説明にも出ている。
この地域は名草戸畔が敗死した所でもあったのだろう。また住民から敬われていたのか、姫にちなんだ神社が多い。
黒江は、牛に似た黒い大きい石が浜にあり、黒牛潟と呼ばれていた名残である。この神社も黒牛潟中言大明神とも呼ばれていた。
お姿
おごそかな雰囲気の本殿である。神木の楠の木が目立つが、杉、槙、桜の木々も大きい。由緒を書いた木板があるが、薄くなって読めない。
名水「黒牛の水」のでる井戸があるが、湧き出ていなかった。黒江の町並みは漆器で財をなしたのか和風の白壁の建物が並び、とても良い雰囲気である。
本殿
お祭り
4月 1日 春祭り(筆祭り)
11月 1日 例祭
紀伊續風土記 巻之十八 名草郡 五箇荘 黒江村から
○中言大明神社 境内周百二十四間
本社二社 方四尺 廳 御供所
舞 台 瑞 籬 石鳥居
摂社三社
祇園社 金毘羅社 辨財天社
村の亥方小名名古屋敷といふ地の山の半腹にあり 一村の産土神なり 国造家舊記に当社は文和年中(1352〜)の勧請なり 嘉慶年中(1387〜)神主貞國別当伝福寺あり 当時退転すとあり 祭礼九月二十三日 山林一箇所あり
○八王子社 中言社境内にあり
勧請年月詳ならす 中言社勧請以前より此の地にありて地主神なりという
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紀伊国名所図絵
平成祭礼データ 中言神社 御由緒
万葉の太古より歌枕として『万葉集』に詠まれている「黒牛潟」は当社の境内周辺で、『紀伊続風土記』に「この地古海の入江にてその干潟の中に牛に似たる黒き石あり、満潮には隠れ、干潮には現る。因りて黒牛潟と呼ぶ」とある。
この小高い丘の上に、嵯峨天皇の弘仁三年(八一三)、紀伊国司が鎮守の神として八王子命をまつり、のちに上代の海草地方の支配者であった名草彦命、名草姫命の二柱を、南北朝時代、冬野村に遷座し、文和三年(一三五四)、国造左京大夫度会貞国がその霊璽を奉じて八王子社の傍にまつり、中言神社と称した。
夫婦二柱の神を主祭神とし、子どもの生育成長を守り、縁結び、家内安全、陰陽和合の神として、人々に崇敬されている。「中言」の名は、もともと神と人との「中」を執りもつこと(「言」)に由来する。
以上
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中言神社(和歌山海南地方産業情報センターのサイトにリンク)
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