大和御前之宮
和歌山市北野744-3 ゼンリン


天照大神 大己貴神


交通案内
阪和線  天王寺→紀伊 東北1km

 
祭神
天照大神、大己貴神、猿田彦神

摂社 薬水大神、薬力大神

由緒
 社頭石碑に彫られている由緒から

 神代の時、天照大神の命により五十猛命ら三柱の神が導祖神猿田彦神の導きでこの地に天降られ木種を蒔かれました。この三柱の神の分御魂され、この地には天照大神がお祀りされました。
 「大和」は日本を表し、この名がつく宮は(奈良県天理市新泉町の)大和神社と当社だけで、両宮はかって伊勢神宮と同格の扱いを受けていました。御前之宮は海に面した宮の意で創祀の頃、朱の鳥居が潮の満ち干きをする所に立てられ、千木・鰹木が黄金に輝く荘厳な宮でした。安芸の宮島の厳島神社の原型になったものです。
 寛治二年(1088)堀川天皇が御幸、奉幣されました。長治元年(1104)広大な神田、社地を寄付されました。
 応永六年(1399)時の将軍足利義満に陥れられた紀伊国守護大内義弘は応永の大乱で敗死、その戦火でこの宮も焼かれました。
 その六百年後の1999年、大和御前之宮は、もともと天孫降臨された地に遷宮されました。

お姿
 当初は大屋大明神古宮趾の西側に鎮座していた。JR紀伊駅から東北の方向へ行く。登り道。近畿自動車道に近づく手前にある。神社の東側は老人憩いのハウスのようだ。1999年の再建とのことで、社殿は新しい。祭神別に小さい祠と屋根がついている。上段には大己貴神と天照大神の祠、一段下がった場所に猿田彦神と薬水大神・薬力大神の祠、それ以外に宝物をいれるのか蔵がある。

猿田彦神

お祭り
例祭



紀伊續風土記 巻之九 平田荘 北野村から

○大和御前社  社地周百六間 村の北山の尾にあり 三輪大神を祀るを以て大和御前と称す。故に社なく燈籠一基あり 土人山鶴御前と称るは大和の転訛なり

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