九頭大明神

和歌山市朝日 Google map


全景


交通案内
阪和線    天王寺→和歌山
貴志川線   和歌山→交通センター前 南300m 但し橋がないので大きく迂回要


祭神
九頭大明神


由緒
 『紀伊続風土記』によれば、「山東荘伊太祁曽神社の末社を勧請して一村の産土神となす。」とある。
 『紀伊続風土記』では、伊太祁曽神社には九頭明神の名は見えないが、末社二社とあり、三坐合祀社と恵美須社に名がある。三坐合祀社の中に九頭明神が含まれているのかも知れない。
 伊太祁曽神社には恵美須社は現存し、明治末期の近隣の神社をここに合祀したようだ。

 出島村は朝日村北部にあり、慶長年中(1596〜)朝日村より出る。土地は低く、水害が多かったようだ。 現在も神社付近の取り入れの済んだ田には水が溜まっていた。また参道横には水路があり、水を湛えていた。 駅に近い土地だが、橋は東か西に数分あるかないとない。


鳥居と社域



お姿

 貴志川線交通センター駅を降り、南の川沿いの道に出る。遠目に神社の鳥居が見える。 西へ数分あるくと橋があり、これを渡って東へ歩く。




紀伊續風土記 巻之十二 名草郡 五箇荘 出島村

傳自満  朝日村枝郷
   田畑高   百二十六石七斗一合
   家 数   十二軒
   人 数   六十二人
朝日村の玄子の方安原ノ荘新出島を隔てて二十町許にあり
慶長年中朝日村より出たり
地甚低く水に侵さるること数回なり
寒僻の孤村なり
○九頭明神社
村の東一町許にあり 山東荘伊太祁曽の末社を勧請して一村の産土神とす

○正願寺 境内周五十間 浄土真宗西派鷺森御坊末 村中にあり 一村の菩提寺なり
 


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