名古曽住吉神社
和歌山県橋本市高野口町名古曽82 its-mo
社景
交通案内
JR和歌山線高野口駅 北東500m
祭神
表筒男命、中筒男命、底筒男命
摂社
嚴島神社 市杵嶋姫命
神功皇后神社 神功皇后
由緒
名古曽は昔は「なごそ」と云われていた。
創建については史実による詳しい記述はない。
天平十年(1582年)織田信長の高野攻めの際、織田方の武将、松山庄五郎が名古曽に布陣の際、戦勝を祈願して堺の住吉神社を勧請したものと伝わる。
『平成祭礼データCD』を見る限り、現在堺市に住吉神社の名を持つ神社は鎮座していないし、摂社にも住吉神社の名は見えない。住吉三神を祀る神社としては、開口神社の摂社の舳松神社、金岡神社などが見える。
なお堺に隣接の大阪市住吉区には住吉大社が鎮座している。
本殿
お姿
若干の高台に鎮座、木々が多く、小さい本殿のわりには社域の豊かな神社に見える。
お祭り
7月31日 夏季大祭
紀伊續風土記 巻之四十五 伊都郡 官省符荘 北名古曽村から
○住吉大明神社 境内周五十八間
天照皇大神 春日大明神 相殿
末社 神功皇后社 辨財天社
村の北にあり 境内に古木多く舊社と見えたり
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参考
『平成祭礼データ』『和歌山県神社誌』
紀の国 古代史街道
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