『紀伊続風土記』伊都郡 相賀荘 市脇村 から
○総社三部明神社 境内 社より遊覧所まで三町許
本 社 幣頭堂 宝 蔵 拝 殿 八間二間
鐘 楼 末 社 四神相殿
伊勢街道の北にあり 東家寺脇市脇脇野四箇村の産土神なり この荘根来寺の領地となりし時当社を以て荘の鎮守に勧請す 今猶根来寺より供料等寄附の文書を蔵む 又正和神事の定番あり 古文書の部に出せり
其外 綸旨 院宣等も数通ありしか皆火災に焼失せり 宝蔵に古写大般若経の畸冊あり 奥書に承久三年(1221)歳次辛巳散位従五位下中臣連遠経一男中臣忠基とあり
祠前に古き石燈籠一基あり 正平十年(1355)十一月一日と彫りたり
平正の頃は生地贅川両家の産土神と称し相賀荘二十九箇村の總産土神にて生地氏神主なりしといふ 此石燈籠は生地氏の建しならん
神主を山本某といふ
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