熊野荒坂津神社

新宮市三輪崎2300 its-mo

鳥居



交通案内
紀勢線  天王寺→和歌山→三輪崎 



祭神
 神大和磐余彦命(神武天皇 大和国橿原神宮よりの御分霊)
 姫蹈鞴五十鈴媛命(皇后 大神神社 〃)
 布都主命(石上神宮 〃)
 高倉大明神(神倉神社 〃)



由緒
 明治百年を記念して建立された新しい神社。
 西南に佐野村があり、『異本初期神武天皇即位前紀』に、「遂に狭野を越えて」熊野の神邑に至り」と見える狭野に比定されている。弥生遺跡から古墳時代に至る集落遺跡が確認されており、早くから開けた地であった。

 丹敷戸畔を誅したニシキ浦にも比定されており、当神社とJR線との間によりも海岸に近い高森地域に「おな神の森」があり、丹敷戸畔の塚や丹敷戸畔を祀ると思われる神社が鎮座している。この付近から那智付近にかけて相当古い石垣が延々と続いており、猪垣ではではではなさそ、興味深い調査をされた方がいる。 

紀伊半島の不思議1

 三輪崎は鍛冶の村であった。『新宮領分見聞記』には三輪崎鍛冶の起こりについて、涼島(鈴島)の項で、昔、涼島に白馬に乗った一人の鍛冶が外国から流れ来て留まったことに始まると記し、島には荒砥があるがこの鍛冶筋の者以外にはとれず、また島に一泊すると白馬が駆けて騒がしいという話を記し、新宮鍛冶は三輪崎の流れとされている。

社殿




お姿

 熊野古道(国道42号線)から見上げると大きく、神武東征上陸地の看板が見える。ここを登っていくと神社である。個人の家の庭と続いているようだ。
 三輪崎がよく見える。

三輪崎



お祭り
 2月11日 大祭

古代史街道 紀ノ国編
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