紀伊續風土記 巻之五十九 在田郡 湯浅荘 湯浅村から
○顯國神社 境内周二百八十五間 禁殺生
本 社 方八尺八寸 末 社 事代主命社 金比羅社
拜 殿 廳 幣帛殿 神輿舎
山家町艮の端より五町田中にあり 湯浅別所青木山田四箇村の産土神なり 田村國津神を勧請す
寛文中 南龍公命ありて顯國神と稱し李梅渓をして鳥居の額をかヽせ給ふ 延享四年禁殺生とす 神事は九月中の午の日なり 馬かけあり 古は社僧もありしに今はなし 神主を長尾某といふ
○諏訪大明神社 境内周三十間
祀 神 建御名方命 沿川姫命 合殿 【沿は沼か(神奈備)】
末社二社 稲荷社 金毘羅社
中町にあり 縁起にいはく 昔は御射山[ミサ]にありしを後此地に移すといふ
當社は顯國神社より古く當所に鎮坐ましましける故に湯浅荘中の氏神といふ 又云ふ昔は社無く壇を築きて四隅に柱計を立てありしに元禄九年社殿を造営すといふ
祭禮は七月二十七日にして馬かけあり
○小祠三社
衣 夷 社 社地除地横町南側裏にあり 本社南濱に移し跡に又同し神を祀る 故に元夷といふ
恵比須社 社地周二十四間 村の南濱にあり 横町よりうつせり
辨財天社 社地周百十五間 南川洲崎にあり 古は別所村辨財天山にありを後此に移す
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