国津神社(くにつ)

和歌山県有田郡湯浅町田63 its-mo


交通案内
紀勢線  天王寺→和歌山→湯浅 北西海岸沿い 5km


祭神
大己貴命、少名彦命、大穴牟遅命

配祀神 少名彦命、天照大神、伊弉册命、速玉之男命、奇御気野命、事解男命

境内社 恵美須社、妙見社、住吉社、他

飛地神 幸神社、逆川神社、秋葉社

由緒
 「素戔嗚命・大己貴命・建御名方命等が澳津島に至り、その後、小浜の大蛇島に移り、大己貴命は宇気(壁の口)の巖窟に鎮座したまう。」との伝説がある。 元正天皇御宇「吾この地にいること久し。吾に一宇を創建せよ」との神託があり、祭祀された。
 村上天皇御宇三輪大神が「紀伊の浜辺に大己貴命鎮座せり。」との神託があり、訪ねた所、「吾この地にいること久し。一宇を創建し奉祀せよ。」とあった。
 その後、小浜の巖窟(物原)から遷祀し、さらに宇賀の森の現在地に遷座したのである。

熊野王子社の逆川王子を合祀しているとされる。

お姿

 飛び地の幸神社は丘の中腹に鎮座。

幸神社


お祭り
10月15日 例祭




紀伊續風土記 巻之五十九 在田郡 湯浅荘 田村から

○國主大明神社[クニシ]  境内周二百二十間
 本 社 一間 一間半   拜 殿   廳
    本國神名帳在田郡従四位上國津神

濱の丘にあり 一村の産土神なり 久豆呂[クヅロ]の宮といふ  久豆[クヅ]は即國津にして呂は助語なり 大國主神を祀るといふ 社地より南五町許に小濱といふ浦あり 舊其濱の巖崛に鎮座ありしを文永七[1270]年當村森某此地に移すといふ  寛文記に 應神天皇御宇吉野に祭らせ給ひ其後三十八年を経て國巣人來りて當地に勧請すといふ 又社傳に 村上天皇天暦二[948]年大和國三輪臣の弟阿部橘司といふ人に三輪大神託宣あり  昔より紀伊國海邊の巖に大穴持命出雲國より鎮座あり 此所を尋て祭るへしとありしかは同年九月朔日より始めて加太浦邊より尋廻り同年十一月に橘司千田の坤の磯に來り晝寝したる夢中に須佐雄命の託宣あり 其日暮れて此所の海濱に伏したる時神出現ありて二百餘年前此所に鎮座のよし告給ふとあり二書とも古き傳へならん  二書を会せ考ふるに舊出雲國より大國主神を勧請せしを神名に因りて大和國吉野郡の國栖人の勧請すといひ傳へしならん 社領高四石八斗浅野氏の時寄附す 元和以後[1615]此によらる 神主を樫原主馬といふ

   攝社十二社
    恵比須社 社地周四間    春 日 社
    住 吉 社       牛 神 社
     各濱にあり
    御 霊 社 社地周四間    牛頭天皇社 社地森周二十間
    辨 財 天 社 社地周四十間   妙 見 社 社地森周四十間
    若 宮 社 社地周四十八間   秋 葉 社
    氣 鎮 社 社地周六十四間   天 神 社
     各里にあり


 

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