紀伊續風土記 巻之五十九 在田郡 湯浅荘 田村から
○國主大明神社[クニシ] 境内周二百二十間
本 社 一間 一間半 拜 殿 廳
本國神名帳在田郡従四位上國津神
濱の丘にあり 一村の産土神なり 久豆呂[クヅロ]の宮といふ
久豆[クヅ]は即國津にして呂は助語なり 大國主神を祀るといふ 社地より南五町許に小濱といふ浦あり 舊其濱の巖崛に鎮座ありしを文永七[1270]年當村森某此地に移すといふ
寛文記に 應神天皇御宇吉野に祭らせ給ひ其後三十八年を経て國巣人來りて當地に勧請すといふ 又社傳に 村上天皇天暦二[948]年大和國三輪臣の弟阿部橘司といふ人に三輪大神託宣あり
昔より紀伊國海邊の巖に大穴持命出雲國より鎮座あり 此所を尋て祭るへしとありしかは同年九月朔日より始めて加太浦邊より尋廻り同年十一月に橘司千田の坤の磯に來り晝寝したる夢中に須佐雄命の託宣あり 其日暮れて此所の海濱に伏したる時神出現ありて二百餘年前此所に鎮座のよし告給ふとあり二書とも古き傳へならん
二書を会せ考ふるに舊出雲國より大國主神を勧請せしを神名に因りて大和國吉野郡の國栖人の勧請すといひ傳へしならん 社領高四石八斗浅野氏の時寄附す 元和以後[1615]此によらる 神主を樫原主馬といふ
攝社十二社
恵比須社 社地周四間 春 日 社
住 吉 社 牛 神 社
各濱にあり
御 霊 社 社地周四間 牛頭天皇社 社地森周二十間
辨 財 天 社 社地周四十間 妙 見 社 社地森周四十間
若 宮 社 社地周四十八間 秋 葉 社
氣 鎮 社 社地周六十四間 天 神 社
各里にあり
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