箕島神社
有田市箕島117 its-mo

交通案内
紀勢線  天王寺→和歌山→箕島
箕島駅 南へ徒歩4分

 
祭神
水主大神、素戔嗚尊、武甕槌神、経津主神、誉田別命

境内社 祓戸神社、船玉神社 他

由緒
 立神社の分社で、元々、箕島の東端にあり小社であったが、天文4年、現地に造営された。水主神社、牛頭天王社、川端神社と名を変えてきている。
 古くは、この地域も立神社を産土神としていたが、天文年間に有田川下流北岸の地はここを産土神とした。
 古来から、海上を守護し、商工業農山林業の神として崇拝を受けていた。
 近くの箕島古墳からは矛、鉄鏃、練玉などが出土し、新堂古墳からは水晶製切子玉、碧玉製管玉などが出ているが、現在は散逸している。

お姿
 万延元年に奉納された大旗掲揚のための石柱が有名である。江戸時代、宮崎荘箕島村では農閑期に船で他地方に行って行商をする「作間稼ぎ」が行われ、海南の黒江産の漆器を九州で販売し、伊万里陶器を仕入れて、江戸でも販売するようになった。宮崎陶器商人と呼ばれた。 彼らが航海安全を祈願し、灯籠や手水鉢を多く奉納している。文化会館に納められており、神社では見ることができない。
 拝殿の後ろに祝詞殿があり、本殿はそのまた後ろにある。木々も多くたたずまいの良い神社である。  

鳥居と本殿


お祭り
10月9日 例祭

紀伊續風土記 巻之五十七 在田郡 宮崎荘 箕島村から

○祇園社   境内周百三十八間
 本 社  末社三社

   神輿舎  拜 殿  中 門

村に東にあり 一村の産土神なり 舊は纔の小舎なりしに天文四年宮崎城主藤原定茲同雲秀攻めて造営すといふ  天文四年定茲等上棟の棟札あり 當村も舊は立神社を産神となしヽに諸村と争論ありて別に分れて當社を産神とすといふ  祭禮九月九日あり 神主栗山氏なり

古代史街道 紀ノ国編
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