潮崎本之宮神社
和歌山県西牟婁郡串本町串本1517 niftymap

鳥居

交通案内
紀勢線串本駅 南へ1.3km



祭神
上筒男命、中筒男命、底筒男命 (配祀)事代主命、神功皇后、武内大臣



由緒
 本社は延喜式に記される牟婁郡内の海神三神を祀る古社で、古代より海上安全の守護神として崇敬されていた。社伝には神功皇后三韓を伐ちて御凱旋の帰途、都で忍熊王の謀反を起こしていると知り、皇后は武内大臣に皇子(応神天皇)を守護し紀伊に赴かしたが南海に漂うた末に当地の旧名大水門浦に着かれ、その時に当地に住吉三神の大神を祀られ海神社御本之宮と称したという。神領は往昔七反であったが天正年間以後二石となった。江戸時代は海神社とか本ノ宮といわれ大島・出雲・串本三ヵ村の氏神として崇敬された。明治初(1868)年の神仏分離の動きの中で社名を現在の潮崎本之宮神社と定めた。明治六年四月村社となる。同四十年四月神餞幣帛料供進社に指定された。同四十三年二月一村一社の神社合祀で村内の小社(袋の恵美須神社・中地の戎神社)を境内地に合祀する。
 大正三(1914)年二月会計法適用社にも指定された。翌四年九月郷社に列せられた。

 式内の海神社の論社としては、熊野本宮大社の大斎原に鎮座していた海神社であるが、熊野の神社は底海神社と称したようで、これを海神社と誤解した所からの論であり、やはり串本に軍配があがるようだ。

拝殿(切妻造)

本殿(流造)


柏槙

お姿
 石垣の中に柏槙<びゃくしんの古木がある。太さ、大きさはまさしく神木のようだ。

この柏槙は、古くから神木として崇められてきた老大樹で、全国的にも有数の大樹です。
 平成元年三月、岡山県自然愛護会の全国調査によると、
 目通幹   7.46m
 根元周囲 10.7m
 樹高   19.0m
 枝張り 東西 14.6m
     南北 15.4m
 推定樹齢 千二百年
 以下略






お祭り
例祭  10月 10日


紀伊続風土記 牟婁郡 潮崎荘 串本浦

○ 本 ノ 宮  境内周三十八間
   
       住吉大神    
   祀神  少彦名命 三社合殿 表行一丈五尺餘余 拝殿    
       熊野権現
 村中字笠島にあり 大島串本出雲三ヶ村の氏神にして新宮の末社なり 土人鹽崎本之宮といふ 御崎明神の古の社地にて 此より今の御崎の地へ遷座し給ふ 故に本之宮といふ 今御崎明神は一社なる 当社は三社なるを以て或説には住吉三社とし 又熊野三所権現とす 今按ずるに中央の社は御崎明神にして 即少彦名命 一社は住吉三所 一社は熊野三所なるへし 住吉は海を守り給ふに依りて勧請し 熊野は中世此邊那智の神領なるに依りて祀れるならん 今これを定説とす 又或はいふ初に祀る所の少彦名命は潮御崎に遷し 其旧地に熊野三所権現を祀れるならんといふ 然れども他所に本之宮と唱ふる例多し 皆本之神を祭る 寛文記には唯本の神一座とす 因りて前説を是とすへし 神領昔は高七談ありしに天正乱後浅野家の時より今に至りて神領二石を寄せらる
                  神主 小原右近

参考 和歌山県神社誌 平成祭りCD

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