平間神社
和歌山県西牟婁郡白浜町富田145 googlemap
鳥居
交通案内
紀勢線 天王寺→和歌山→富田駅 富田橋を渡り北へ1km
祭神
天佐具女命
配祀 大宮能売命、恵比須神
摂社 若宮神社、恵美須社
拝殿
由緒
桃山時代の文禄二年(1593)、この地に鎮座。
天佐具女命は天探女と書かれ、『古事記』(岩波文庫本)では、「実相を探る女。巫女で鳥の鳴き声などを判断する。」と注記にある。天若日子を大国主の下に遣わし国譲りの工作をさせようと高天原では構想されたのだが、大国主の娘の下照姫を娶って自分でこの国を獲ろうと考え、八年間も報告を怠った。その真意を探るために雉子名鳴女(きじしなきめ)が派遣されたが、その声を聞き、天若日子をそそのかして雉を射殺させた。
大阪の鶴橋付近にあった「味原池」は、天探女が天の磐船に乗って天降られた霊地とされている。天探女を祭神とする神社は美濃国武儀郡に二社鎮座する。これは天若日子の葬儀に現れた味耜高彦根命は天若日子とよく似ていたので間違われ、死人に間違われて怒った味耜高彦根命は藻屋を切り伏せ、けっ飛ばした先が美濃国であり、それゆえに祀られている。
平間神社の祭神が天佐具女命となっている理由は判らないが、美濃からの移住者が祀ったのかと思わせる。
本殿
お姿
富田川の左岸に北を向いて鎮座、左岸の道は熊野古道大辺路である。富田坂に至る。また清水が名物だとする。
お祭り
11月 23日
紀伊續風土記 巻之七十一 牟婁郡 富田荘 十九淵村から
○若一王子権現社 境内山周十六町
摂 社 住吉社
末社三社 若宮 稲荷社 弁財天社 拝 殿
小名伊勢谷にあり 荘中朝来帰堅田の二村を除きて十二か村の産土神なり 社殿壮麗にして境内も広し 相伝へて熊野本宮第四の宮天照大御神を勧請すといふ 故に此の地の名を伊勢谷といふ 此の地古は熊野神領なりしならむ 古は祭日に田楽毎流鏑馬等もありしに今は絶えたりと云ふ 文亀三年(1503)文禄五年(1596)の棟札あり 神主を吉田大和といひて吉田範秀の後なりと云ふ 社僧一人禰宜二人あり
別当 海門寺 倉谷山
太子堂 鐘楼 僧坊
社の境内にあり 真言宗古義京仁和寺末なり 末寺三箇寺村中にあり
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