万葉集巻第九 紀の国

雑歌くさぐさのうた

崗本の宮に天の下しろしめしし天皇の、紀伊国[きのくに]に幸いでませる時の歌二首[ふたつ]
1665 為妹 吾玉拾 奥邊有 玉縁持来 奥津白浪
妹がため吾が玉拾ひりふ沖辺なる玉寄せ持ち来沖つ白波
のこいてきたこにやろともて玉ひらうんや 沖の玉 よいてこい 沖の白波よ
 

1666 朝霧尓 沾尓之衣 不干而 一哉君之 山道将越
朝霧に濡れにし衣干さずして独りや君が山道やまぢ越ゆらむ
あけの霧にぬれちゃるやろ着るもんもほさんで あがのおいやん 一人で 山道 こえていくんやろか
右ノ二首[フタウタ]、作者[ヨミヒト]未詳[シラズ]。
 
 

大宝[だいはう]の元年[はじめのとし]辛丑[かのとうし]冬十月[かみなづき]、太上天皇[おほきすめらみこと]、大行天皇[さきのすめらみこと]、紀伊国に幸ませる時の歌十三首[とをまりみつ]
1667 為妹 我玉求 於伎邊有 白玉依来 於伎都白浪
妹がため吾が玉求む沖辺なる白玉寄せ来沖つ白波
のこいてきたこにやろともて玉ほしいんや 沖の玉 よいてこいよ 沖の白波
右ノ一首[ヒトウタ]、既ニ上ニ見ルコト畢ハリヌ。但歌辞少シク換リ、年代相違ヘリ。因テ以テ累ネ戴ス。
 

1668 白埼者 幸在待 大船尓 真梶繁貫 又将顧
白崎は幸さきくあり待て大船に真梶繁貫まかぢしじぬきまたかへり見む
白崎よ 変わらんと待っててよ おきい舟に ごつい梶 ぎょうさん 通して また来て見らよう 
 

1669 三名部乃浦 塩莫満 鹿嶋在 釣為海人乎 見變来六
南部みなべの浦潮な満ちそね鹿島かじまなる釣する海人あまを見て帰り来む
南部の海の潮みちんな 鹿島でつりしちゃる海人ら 見て かえろとおもてんのに
 

1670 朝開 滂出而我者 湯羅前 釣為海人乎 見反将来
朝開びらき榜ぎ出て吾あれは由良の崎釣する海人を見て帰り来む
明けに 港出るんよ わいは 由良の崎で つりしちゃある 海人ら 見るよってに
 

1671 湯羅乃前 塩乾尓祁良志 白神之 礒浦箕乎 敢而滂動
由良の崎潮干にけらし白神しらかみの磯の浦廻うらみを喘あべて榜ぎ響とよ
由良の岬は 今 引き潮やろか 波の荒らくたい 白神の磯の海を わざわざ 舟漕いでらいしょ
 

1672 黒牛方 塩干乃浦乎 紅 玉裾須蘇延 徃者誰妻
黒牛潟くろうしがた潮干の浦を紅の玉裳たまも裾引き行くは誰が妻
黒牛潟の 潮引いてる浜 えろーきれいな赤い裾ひいて 歩るいてるん どこのごっさんやろか
海南市黒江中言神社 

1673 風莫乃 濱之白浪 徒 於斯依久流 見人無
風早かざはやの浜の白波いたづらにここに寄せ来も見る人無しに
風早の浜によ 白い波 役に立たんのに よいてら だれも 見てないのに
右ノ一首、山上臣憶良ノ類聚歌林ニ曰ク、長忌寸意吉麻呂、詔ニ応ヘテ此歌ヲ作メリト。
 

1674 我背兒我 使将来歟跡 出立之 此松原乎 今日香過南
我が背子が使来むかと出立いでたちのこの松原を今日か過ぎなむ
あがのええ人の使い 来るやろか 門で待ってんね 出立の松原 今日はは 通るかいし  

1675 藤白之 三坂乎越跡 白栲之 我衣乎者 所沾香裳
藤白の御坂を越ゆと白たへの我が衣手は濡れにけるかも
藤白の坂 越えよとしててん 有間の皇子はんの事 思い出して 涙出てよ 白のきもんの袖 濡れてしもた
海南市藤白藤代王子 海南市藤白藤白神社 

1676 勢能山尓 黄葉常敷 神岳之 山黄葉者 今日散濫
の山に黄葉もみち散り敷く神岳の山の黄葉は今日か散るらむ
背の山のもみじ のっぺし散ってらいしょ じべたにひいちゃらいしょ 神丘の もみじも 今日はぐらい 散ってるやろか
 

1677 山跡庭 聞徃歟 大我野之 竹葉苅敷 廬為有跡者
大和には聞こえもゆくか大家野おほやぬの小竹葉ささば刈り敷き廬せりとは
大和にも 聞こえてるかのう 大我野の 竹の葉ぁ とって ひいて わい ねてんのよ せえないな
橋本市市脇相賀大神社 

1678 木國之 昔弓雄之 響矢用 鹿取靡 坂上尓曽安留
紀の国の昔弓雄さつをの響矢かぶらもち鹿取り靡けし坂の上にそある
紀ぃの国でよ 昔ね かぶら矢で 鹿とったんおるんよ この坂の上やったんやいしょ
和歌山市伊太祈曽伊太祁曽神社 

1679 城國尓 不止将徃来 妻社 妻依来西尼 妻常言長柄
紀の国にやまず通はむ都麻つまの杜妻寄し来せね妻と言ひながら
紀ぃの国へは いつれも来るでぇ 都麻の杜よ 妻を わいに あてごてくれへんか
右ノ一首、或ヒト云ク、坂上忌寸人長ガ作。
橋本市妻妻の杜神社  和歌山市平尾都麻津姫神社

 

後れたる人の歌二首
1680 朝裳吉 木方徃君我 信土山 越濫今日曽 雨莫零根
麻裳あさもよし紀へ行く君が真土山越ゆらむ今日そ雨な降りそね
紀ぃの国へ 旅しちゃる あがのええ人 今日はは 真土山 こえらいしょ 雨にならんといて
紀ノ川沿い 

1681 後居而 吾戀居者 白雲 棚引山乎 今日香越濫
後れ居て吾が恋ひ居れば白雲の棚引く山を今日か越ゆらむ
後によう、ほったかれて あが 好いてんのに ええ人 白い雲のかかちゃ−る山 今日は 越てるんやろか
  

紀伊国にてよめる歌二首
1692 吾戀 妹相佐受 玉浦丹 衣片敷 一鴨将寐
が恋ふる妹は逢はさず玉つ浦に衣片敷き独りかも寝む
わいの 好きな あのこよ おおてくれやんねん そやさか玉の浦で わい 一人で 寝るんかいし あかんわ
和歌山市和歌浦 玉津島神社 

1693 玉匣 開巻惜 ね夜矣 袖可礼而 一鴨将寐
玉くしげ明けまく惜しきあたら夜を衣手離れて独りかも寝む
玉櫛笥 あけるみたいに 夜があけてしまわいしょ しまったなー 袖のかわさんと 一人で ねんのかいし すかたんくろうたわ  
右、柿本朝臣人麻呂ノ歌集ニ出ヅ。
 

山上[やまのへ]が歌一首
1716 白那弥乃 濱松之木乃 手酬草 幾世左右二箇 年薄經濫
白波の浜松の木の手向ぐさ幾代までにか年は経ぬらむ
白波が よいて来る 浜の 松の木に 結んじゃる 手向けのもん どんなえ昔のもんやろか  
右ノ一首、或ヒト云ク、河島皇子ノ御作歌 (巻一の三十四)
 
 

挽歌かなしみうた
 

紀伊国にてよめる歌四首
1796 黄葉之 過去子等 携 遊礒麻 見者悲裳
もみち葉の過ぎにし子らと携はり遊びし磯を見れば悲しも
もみじの葉ぁの散るみたいに いってしもた あの子と てぇ取ってあそんだ 磯 見てたら かなしいわして
 

1797 塩氣立 荒礒丹者雖在 徃水之 過去妹之 方見等曽来
潮気立つ荒磯ありそにはあれど行く水の過ぎにし妹が形見とぞ来し
潮のにおいの 荒磯やけど 流れる水みたいに いってしもた あのこの 形見とおもて 来たんよ
 

1798 古家丹 妹等吾見 黒玉之 久漏牛方乎 見佐府下
古に妹と吾が見しぬば玉の黒牛潟くろうしがたを見れば寂さぶしも
昔よ あれと二人で見たんよ 黒牛潟 今 一人で 見てたら さみしいわいしょ
海南市黒江 中言神社 

1799 玉津嶋 礒之裏未之 真名子仁文 尓保比去名 妹觸險
玉津島磯の浦廻の真砂まなごにもにほひて行かな妹が触りけむ
玉津島の 岩のようけある浜の砂でもよ 色つけてもらおら かえらしあれが さわったんやし
右ノ四首、柿本朝臣人麿ノ歌集ニ出ヅ。
和歌山市和歌浦 玉津島神社 


万葉集巻第十一 紀の国

万葉集 紀の国

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