紀の国の民話・昔話・伝承 有田郡、有田市編
箕島の夜泣き右
むかし、むかし。
有田の箕島の農道の脇に「夜泣き右」という一辺二メートルはどの大きな石があった。
夜泣きのひどい子供をこの右の上に乗せ、「どうぞ夜泣きが止まりますように…」と願いをかけるとピクリと止むと伝えられて、あちこちからお参りする母親が絶えなんだもんや。
子供の夜泣きちゅうのは、心配やし、うるさいし、どこの親もへコタレたやったらしいで。
近年、農道が市道になって拡幅整備されることになって、この「夜泣き右」は近くの愛宕山の麓に移された。
そのわきに竜王姿観世音菩薩像を納めた石のお堂も建てられてるよって、この云い伝えは今も生きてるんやろな。
その由来ちゅうのは、今から二百年ほど前のことに、近所に住むお百姓さんが、山賊に襲われて殺されてしもたことに始まるんや。
突然のことやったし、嫁さんや子供らは泣いてるばかしやった。
そんなことから子供は毎夜、激しく夜泣きするよになったらしいわ。
困り果てた母親は、これを治してならな・・・と思うて、近くの箕島神社まで子供を背負うてお百度参りをしはじめたんやが、ある夜の帰り道、また激しく泣きはじめたんや。
その時、ふとこの石を見ると、その上に亡き夫が立っていて、おいでおいでしてるんやしょ。
「あっ、あれはお父さんや・・」
と、母親は思わず駆け出して、石の上へとよじのぼったんやが、その時、父親の幻はフッと消えてしもた。
けど、今まで火のつくよに泣いていた子供はピタリと止まり、母親の背中でスヤスヤ眠りはじめたんや。
「あっ、お父さん。
この子の夜泣きで苦しんでる私を見て、あの世から助けに来てくれたんやの。おおきに、おおきによう・・」
と母親は、て心に手を合わせて拝んだ。
この話がパッと広まってな
「この石には霊がこもってる。子供の夜泣きを治してくれるで…」
という評判がたち、遠いところからも願をかけにくる人が後を絶たなんだそうや。
子供の夜泣きいうのは昔は随分多かったらしいけど、この頃はあんまし聞かんわな。
関連する神社 箕島神社
ネコの恩返し
津木(今の有田郡広川町津木地区)は山も深いとこやな。
そやよって、昔は猟師をして暮らしをたててた人も多かったようや。
ここの在所にな、甚兵衛ちゅう猟師さんがいてな、鹿笛を吹いて鹿をさそいだし、それを獲物にしてたんやと。
ある日のこと、甚兵衛さんが、近くの長者力峰の山中で鹿を待ち受けてるとな、家に残してきた老母の声が聞こえてきてな、しきりに「甚兵衛、甚兵衛や〜」
て呼ぶんや。
おもしやいな・・・と思うて、よう見るとやっぱりかお母[か]はんや。
「お母はん、一体どないしたんや…」と聞くと、
お母はんはハアハア云いながら
「誰かしらんけどお客が来て、お前の帰りを待ってるで…」
というんやして。
そいで山を馳け下りて家へ帰ってみると、客はおらんでお母はんはつくらいもんをしてるんや。
キツネにつままれたような甚さんは、これこれと話してみたけど、そんなこと知らんで、第一、お客など誰もけえへん・・・ていわしょ。
「そらお前、古狸か古狐にだまされたんやで…」
と、お母はんは大笑いやった。
あくる日も同じことが起きたんや。
「アホ、もう二度とだまされるかい」
て甚さんはどなったんやけど、お母はんが泣くよに頼むんで、急いで家へ帰ってみると、やっぱりつくらいもんしてんねや。
まただまされて甚さんはカンカン。
翌日は覚悟して山へ登ったんや。そしたらまたお母はんの声が聞こえたんで、今度は物も云わずに、ダーンと一発かましたんやて。
それから家へ帰ろとしてみると、血の跡がず〜うっと家の前まで続いていて、なんと床下で長年飼うてた三毛ネコが鉄砲キズで死んでた。
不思議に思うたんやが、さて明くる日になって山へ行くと、自分の坐ってる木の上からものすごう大きな蛇が、甚さんをねろてきたんや。
ま、こいつは早ように気がついたんでうまく鉄砲でしとめたんやけど、この時、あの三毛ネコが主人の身を案じて、老母の姿に化けて甚さんを呼びに来てたのにやっと気がついたんやと。
そいで甚さんは(すまんことをしたなぁ・・)と涙をこぼしながら、三毛ネコを丁寧に葬ってやったそうな。
近くの神社 津木八幡神社
参考文献
和歌山県史 原始・古代 和歌山県
日本の民話紀の国篇(荊木淳己)燃焼社