紀の国の民話・昔話・伝承 那賀郡編




小野小町の話


 なんちゅうても、むかしのミス日本ちゅうのは小野小町さんやろな。
 平安時代のことやと思うけど、和歌山市の東の方の在所に根来ちゅうとこがあっての、ここの尼寺に都から来たちゅうものすごい別嬪さんと、おつきの女中さんが滞在してたそうな。
 実はこの人が小野小町さんちゅう人で、美しいことも美しいけど、オツムの方もまたすごくよかったらしいわ。
 なかでも歌を詠ませたら、この人にかなう人はない・・・ていわれたぐらいやしょ。
 そいで、あちこちの男からモーションをかけられてな、もううるさてうるさてしようないよって、とうとう都から逃げ出してきたんやと。
 ・・・ところが、それでも諦めきれやんと、深草少将ちゆう人が、はるばるここまで追っかけてきたんやしよ。
 そいで「嫁さんになれ、嫁さんになれ」ちゅうて毎晩口説きにくるもんやよって、さすがの小町さんも閉口してしもてな
 「では百日の間、毎晩お通いになったら、お望み通りにいたしましよう」
 て、返事をしてしもたんやて。
 人間、恋の力はどおとろしもんないで。
 それから雨の日も風の日も、毎晩通うてきて、とうとう九十九日目の晩になってしもたんや。
 「まさか」
 と思てたのに・・・と小町さんは泣いてるばかりやった。
 そいでおつきの女中さんが知恵をしばって、とうとう百日目の朝早よに、二人で逃げ出したんやて。
 とんどん西の方をめざして、朝露にぬれるのもいとわず走っていったんやが、運の悪いことに深草少将に発見されてしもた。
 もうちょつとで追い付かれそになったんで、とうとう女中さんは小町さんの着物を借り、けなげにも身代りになって池へ飛びこんで、そいで少将の目をくらましたんやと。
 その間に、小町さんはとうとう逃げ切ってしもたんやて。
 そのあと、小町さんはあてどもない旅を続けたんやが、八十八歳になった時にまた紀州へやってきて、山口の里に庵をつくり、心静かに余生を送ったんやと。
 今も山口の遍照寺には小町さんの木像が残されてるけど、それが八十八の姿で、お乳もたれ下り、アバラ骨も浮き出て、こらもう無惨なもんやわ。

山口の王子神社 山口王子




国主ヵ渕の竜


 貰志川の下流あたり、諸井橋のすぐ上手は「国主ヵ渕」ちゅうてな、むかしはそれこそ底知れずの深い渕じゃつた。
 うん、年もはっきり伝わってるで。
 永禄元年(一五五八)のことらしいが、この年はえらい日照りが続いてな、紀北一帯の農民は弱りきってしもた。
 もちろん貴志川の水も中あがってしもて、残ったのは国王力渕にたまってる水だけという有様やった。
 そいで庄屋たちが相談して、この水を水車でかき出して、畑へまわそらということになり、大勢のお百姓を集めて作業に取りかかったんや。
 はとんど水を汲み出したんやが、まだ奥の方には大分水がたまっているらしい。
 ところがその人□には、大きな木みたいなものが埋まってるや。
 なんやら気味が悪うて、その洞穴へもぐって行こうとする者はおらんねやしょ。
 この時、近くの岸小野の望に住んでる郷土の橋口隼人の家に滞在してた桜井刑部という浪人が志願して
 「渕へもぐってその大きな木を取りのけてやろう・・」
 ちゅうことになり、刑部は志津の名刀を口にくわえて渕の中深くもぐって行ったんやと。
 そいで必死になってその大木を動かそうとしたんや。
 その時、一天にわかにかき曇り、雷がゴロゴロ、稲妻がピカピカッ,おまけに待望の雨がたたきつけるように降りはじめた。
 なんと大木やと思たのは竜やったんやて。
 竜は、機嫌ように眠りこんでたのに、もぐってきた武士に力一ばい引っばられたよって、そらもうびつくりしてな、そいで大雨を降らしたわけや。
 川のへんに集まってたお百姓衆らは涙をこぼして喜んだわな。
 その時、逆巻く川面にポッカリと三つの面が浮かびあがったんや。
 刑部がこれを拾うて、一つは高野山に、一つは領主に納め、残る一つを橋口家の家宝にしたんやけど、この面いまもちゃんと残ってるで。
 それからあとも、この貴志谷に日照りが続くと、橋口家の当主がこの面をかむり、能を演じたらたちまち、雨が降ったんやと。
 この渕は今でもきれいな水をたたえており、昔の面影を残す屋形船もここから出発してるわ。

近くの神社 大国主神社



障子の穴の話


 打田町のずうっと奥の方に神通ちゅう在所があるんやして。
 むかし、むかしのことやが、紀州の殿さんが沢山の家来を連れて、ここらあたりへ狩りに来たんやと。
 なにしろ山も深いとこやし、大勢の家来たちが、エイエイホウ・・・ちゅうて一斉に追いたてるもんやよって、イノシシ、ノウサギ、それにキジなどがびっくりして飛び出してくるんや。
 それを待ち受けていた殿さんや、腕白慢の家来たちが弓矢を持ち出してきて仕止めるんやよってそら面白いはど獲れるわな。
 うず高く積まれた獲物を前にして、殿さんも上機嫌やった。
 ところが一天にわかにかき曇り、生ぐさい風がビュウーッと吹きつけてきたかと思うと大粒の雨が降り出した。
 そこへ突然一匹の大蛇が出現したんや。
 そらごっつい鎌首をもたげて、赤い目をらんらんと光らせて、殿さんをにらみつけるんや……まるで
「わしのエサを、むやみやたらに獲っていくとはけしからん」
 とでもいうように…。そいでだんだんに近づいてきた。
 さあ殿さんは気絶してしまうし、家来はチリヂリバラバラに逃げ出してしまうし、どてらい騒ぎや。
 ま、殿さんも運が良かったんやろかい。丁度このあたりを通りかかった庄司さんちゅう人が大蛇を追い払い、殿さんを家へ連れてきていろいろ介抱したんやと。
 やっとのことで和歌山へ帰りついた殿さんは、世話になった庄司さんを招いてご馳走し、天守閣へ案内してやったそうな。そいで
「この間のお礼に、なんでもやろう。なんでも欲しいものを申せ」
 というと、庄司さんは天守閣三階の障子にちっちゃな穴が開いているのを見つけ
「ではお言葉に甘え、この穴から見えるほどの山をいただかして・・」
 と答えた。なんと欲のないやつじゃな…と殿さんも思うて、あっさりその願いを聞き届けてやったんやと。
 けど、それは大きな大きな山じやつた。障子の穴から見たら小さかったけど、実物はどてろう広かったんやと。いまでもこのあたりの山を「障子山」とか「障子林〕と呼んでら。

近くの神社 浦上神社 那賀郡打田町神通34 祭神 豐玉彦命、國津姫命




鯉ヵ森の美女


「ホトホト、ホトホト・・」
 忍びやかに戸を叩く音に、庄屋の右藤さんはふと目を覚ましたんや。
 そいで裏戸を開けてみると、月の光に濡れるような一人の美しい娘さんが立ってるんやしょ。
「どないしたんや、いまどろ・・」
 と尋ねると、この娘さん
「実は明日、殿さんが紀ノ川へお越しになって川狩りをなさると聞きました。
 あの森の下には、川漁師が守り神とあがめている大鯉が棲んでいます。
 どうかあのあたりでは網を打たないように頼んでいただけませんか・・」
 と涙ながらに頼むんやして。
 右藤さんは
「そらそうやな。わしも殿さんに申し上げて頼んでみるわ。さ、もう早ようお帰り・・。丁度ここにつきあがったばかりの革もちがあるよって、これをもって帰りよし…」
 そういうて右藤さんは、十二、三個ほど草もちを包んで持たせたんやと。
 明くる朝、殿さんがやってきて、川狩りを始めはったんやが、庄屋の右藤さんは
「あの森の下のへんにいる大鯉は、このあたりの川漁師らが守り神としてあがめております。どうか見逃してやってほしい・・」
 と頼んでみたんやけど、殿さんは一向に云うことを聞いてくれるかよう。
「そら面由い。その大鯉をぜひ捕えろ・・」
 と逆に家来たちを追いたてる始末じゃ。
 とうとう大鯉は網にかかってしもた。
 紀ノ川の主といわれるだけあって、そらもう立派なもんで、人間よりも大きかったわ。
 殿さん、大喜びで、早速舟の上で料理をさせたんやけど、その大鯉のお腹を裂いたら、ポロポロとなにかがこばれ落ちたんや。
 よう見ると、どうやら草もちらしいわ。
 右藤さんはハラハラと涙を流し
(さては昨夜、この大鯉が美女に化けてわしに命乞いに来たんやな)
 ・・と気づいたんやしょ。
 涙を流してる庄屋さんを見て、殿さんがそのわけを尋ねるので、ありのままを話したんや。
 すると殺さんもびっくりしやはってな、その大鯉の料理を止めさせ、紀の川と貴志川が合流するあたりにある森へ埋めてやったんやと。
 もうそのあたりは大分浅うになってしもたけど、長い間「鯉ヵ森」と呼ばれてきたんやとい。

近くの神社 大多羅乳女神社 那賀郡貴志川町丸栖641 祭神 伊弉冉尊




住蛇ヵ池の話


 岩出町の北、約四`のあたりに新義真言宗の総本山・根来寺があるわな。
 その西らに大きな池があって、いまも満々と水をたたえてるんやが、それが住蛇ヵ池や。
 むかしむかしのことにな、村随一の旧家で室家右兵衛ちゅう人が住んでたんや。
 この人には、「かつら」という一人娘があったんやと。幼い時に母を亡くして、それからずっと乳母のお豊の手で育てられてきたんやけど、そらもう色白で、やっと十六の春を迎えたばかりやいうのに”根来小町”の評判も高うて、あちこちから降るほど縁談もあったんやと。
 ところが、この「かつら」には、人にも云えやん悩みがあったんやしょ。
 実はえらいちぢれ毛で、なんぼ椿油をつけてもどうもならんねや。
 そやけど、不思議にも、住蛇ヵ池の水つけて梳いたらスルスルと琉けるんやしょ。
 そいでお豊さんは毎日、手桶一ばいの水を汲みに行ってたんやと。
 やがて和泉の国の大原源蔵というお持との縁談がまとまり、お嫁に行くことになった。
 五月晴れの縁がしたたるような気持ちの良い朝、「かつら」の輿を先頭に、たくさんの荷物を担いだ行列は、根来の里を後にして、丁度、住蛇ヵ池のはとりにさしかかった時のことや。
 一天にわかにかき曇って、横なぐりのはげしい風が吹きつけ、大粒の雨が落ちてきたんやしょ。
 はげしく雷は鳴るし、行列の人たちはオロオロしてるばかりやった。
 はんの暫くの間やったけど、雨があがって見ると、肝心の花嫁の「かつら」がどこにも見当たらんねや。
 大騒ぎになって、室屋右兵衛は大勢の人を集めて、山の奥の方までくまなく調べさしたんやけど、かいもく行方はわからんねや。
 みんなは途方にくれてしもうた。
 けどお豊さんにはふと思い当たることがあったんや。
 (あのちぢれ毛が池の水をつけたら、とたんにスルスルと梳けるのはなんといっても不思議すぎる、ひょっとすると池の主に魅入られたんかわからん…)と。
 その晩、池の傍でお豊さんが「もう一遍だけかつらさんに会わしてよう」とお祈りすると、大蛇の頭の上に乗った花嫁姿の「かつら」が姿を見せたんやと。
 いまでもこの池のはたへ行くとぞ〜っとするで。

近くの神社 坂本神社 那賀郡岩出町西坂本1764 祭神 素盞嗚命、罔象女命、埴山姫命 ほか




鞆渕八幡の神輿


                                          ともふち  粉河町のずうっと南の山深いところに鞆渕ちゅぅ在所があらしょ。
 むかしむかしのことにな、この在所に妹背荘司家ちゅう大きな家があったんや。
 この家には二人の子があり、兄を千楠丸、妹を鶴千代というたんやが、二人はそらもう仲のええ兄妹やった。
 ところでお父さんちゅうのが大層厳しい人での、夜になると二人にいろいろと学問を仕込んでくれたそうな。
 千楠丸の方は、わりかし物覚えもようて、学問の方もぐんぐん上達したんやけど、鶴千代の方はもうひとつでの、あんまし勉強は好かなんだらしいわ。
 ある晩のことに、鶴千代の物覚えが悪いことから、とうとうお父さんが怒ってしもてな、そばの木の枕をとり、いきなりそれをふつけたんやと。
 幸い鶴千代に当たらなんで、そのうしろの柱に当たり、枕は真っ二つに割れてしもたんや。
 その晩、鶴千代はいつまでも泣いてたんやが、夜明け近くになって、枕の片方を兄の枕元に置き、自分は残りの枕をもって、とうとう家出してしもたんやとい。
 それからはや十年余りの月日が流れた。
 あの鶴千代は宮仕えをしていたんやが、時の帝さまの目にとまりそのお妃になったんやと。けど幼ない頃から育った鞆渕の里のことは一日も忘れやなんだ。
 そんな鶴千代のことを風の便りに聞いた千楠丸は、あの片割れの枕を持って都へ出てきて、久しぶりに鶴千代と対面したんやと。
 鶴千代も大事に枕の片割れを持ってたよって、二つを合わせてみるとぴったしやった。
 二人はひしと抱き合って、涙ながらに昔のことなど語り合って夜の明けるのも知らなんだ。
 この兄妹の話を聞いて後掘河天皇もえろう感心されてな
 「なんという兄妹の美しい愛じゃ。
 よしよし鶴千代は兄と共になつかしい鞆渕へ帰ってよいぞ。
 それから兄の千楠丸には、私の信仰している石清水八幡宮の御輿をあげるから、鞆渕の八幡さんへお祀りしなさい・・」
 と云われて、目もまぶしいはど立派な御輿を下され、兄妹はうちそろって鞆渕の里へ帰ってさたんやとい。
 今、鞆渕八幡さんにある御輿は、この時に帝からいただいたもので、国宝になってるで。

近くの神社 鞆渕八幡神社 那賀郡粉河町中鞆渕58 祭神 應神天皇





牛鬼渕の怪物


                                          ともふち  貴志川は岩出町船戸のあたりで紀の川と合流するが、むかしはなかなかの暴れ川でな、水の流れ路も一定しておらなんだそうや。
桃山町の調月には、大歳神社という立派なお社があってな、そのうしろは深い森になっており、むかし、むかしは、その貴志川がうねって流れ、この森の北側あたりで深い渕になってたんやと。
 この渕には実は主(ぬし)がおってな、なんでもそいつはバカでかいドジョウやったらしいで。
 ドジョウちゅうたら、ちょつとヒゲ生やしてかわいらしいとこのあるやつやが、この渕に住んでたやつときたら、そらもう人間の背丈以上もあった怪物やったらしいわ。
 そいでな、このドジョウは、時折りは牛鬼(うしおに)に化けて、人々を痛めつけたんやと。
 牛鬼ちゅうのは、頭は鬼で、体の方は牛のような格好をした妖怪らしく、「カーツ」と大きな口を開けると、たいがいの人は先に目を回してしもうたらしいで。おまけにニワトリなどや子どもたちも取って食うという噂が広まり、とうとうこのあたりを通る人もなくなってしもたそうな。
 そのころ、この調月には弓の名人との誉れ高い能木(あたぎ)なにがしという郷土が住んでいたので、村の衆は「なんとか退治して下され」と頼みこんだんやと。
 牛鬼という妖怪は、二つに体を使いわけて、一方は美人などに化けて人の目を引きつけておき、もう一方の本体は反対側に隠れていてガブリと食いつく・・・という話を聞いていた能木さんは、秘蔵していた大弓を持ち出し、矢じりも鋭くとぎ直して用意万端ととのえて、大ドジョウの住むという渕へ通うことにしたんや。
 もちろん妖怪なんてしろもんは、昼間には姿を現すはずはないので、毎日、夕ぐれ時から根気よく通うことに心を決めてた。
 こうして大歳神社の裏の深いイチイガシの森にじつと身をひそめること五晩目のこと、いよいよ妖怪が登場したんや。それもかわいらしい娘さんに化けて、ピーヒョロヒョロと笛なんぞ吹いて、だんだんに能木さんの方へ近ずいてきた。(おのれ妖怪、いまに見ろ…)能木さんは大弓に矢をつがえてギリギリと引きしぼった途端に、グルリとうしろ向いて大きな口を開けて食いつこうとしていた牛鬼をめがけて、ヒョ〜と放すとさすがの妖怪も「ギャー」と絶叫して、フッと姿を消してしもうたんや。
 それからあと、牛鬼は二度と姿を見せやなんだ。

関連する神社 大歳神社 那賀郡桃山町調月1110 祭神 大市姫命



参考文献
 和歌山県史 原始・古代 和歌山県
 日本の民話紀の国篇(荊木淳己)燃焼社

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