紀の国の神話と神々 神武東征神話




神武東征神話


 日本書紀には神武天皇は神日本磐余彦命として東征を目的に日向を出発するとある。 磐余彦命は彦波瀲武鵜草葺不合尊の第4子で、母は海童の少女の玉依姫である。第1子は五瀬命と言う。
 東征と途上、倭直部となった珍彦(椎根津彦)を水先案内人とする。
 筑紫の岡水門から瀬戸内海北岸を辿って難波の湾から河内の白肩津に着き、胆駒山を越えて大和に進入しようとしたが、長随彦が我が国を奪われるとして、全兵を動員して双方が会戦する事になった。 流れ矢が五瀬命に当たり、磐余彦の軍はこれ以上進めず、大阪湾を南下し、紀の国の雄水門から竈山に到った。ここで五瀬命は戦死し、この地に葬られた。
 磐余彦の軍は名草邑に到着し、名草戸畔と言う女酋を誅殺した。それから狭野を越えて、熊野の神邑に着き、天磐盾に登った。それから海を渡るが暴風に遭い、磐余彦の兄の稲飯命、三毛入野命を失った。
 磐余彦は軍を率いて進み、熊野の荒坂の津で丹敷戸畔と言う女賊を誅した。
 土地の神が毒気を吐き、磐余彦軍の人々を萎えさせた。すると熊野の高倉下の夢に天照大神の指示で、「ふつのみたま」と言う剣を授けられ、これを磐余彦に献上した。にわかに軍ともども目覚めたのである。
 内つ国に行く途中の山中で立ち往生していた時、天照大神が磐余彦の夢に現れ、八咫烏を遣わすから、これを案内にせよと指示された。はたして八咫烏が大空から飛び降りてきた。
 宇陀へ入り、大和を制圧して、橿原で即位し、神日本磐余彦命火火出見天皇となった。


神武天皇(神日本磐余彦命、若御毛沼命、豊御毛沼命、狭野命)
   奈良県御所市柏原246 神武天皇社 橿原神宮に合祀
   紀の国の熊野の神は家津美御子、熊野神武呂乃命、熊野奇霊御木野命とも呼ばれ、素盞嗚尊として樹木神ともされる。 また出雲の熊野坐神社の祭神も櫛御食野命と呼ばれる。ミケヌ神の鎮座縁起が大和創業の神に結びついたのであろう。
   先代旧事本紀には素盞嗚尊六世孫の豊御気主命(またの名を武甕依命)が紀伊の名草姫(紀伊国造智名曽の妹、中名草姫)を妻としたとある。
   幼名を狭野命としている。狭野と言う地名は多く、特定できるものではないが、南紀の上陸地、紀ノ川の中流のかつらぎ町に佐野廃寺、泉州の佐野などが紀の国関連では思い出される。


彦波瀲武鵜草葺不合尊
   宮崎県日南市大字宮浦3232 鵜戸神宮 
  記紀は公式文書扱いだが、いわゆる古史古伝にはウガヤ王朝の存在が主張されている。
   竹内文書(武内宿禰の孫が書き写す) ウガヤ王朝を73代とする。
   宮下文書(富士高天原朝史) ウガヤ王朝を73代とする。
   九鬼文書(奈良時代に藤原不比等が漢字に書き改めさせた)ウガヤ王朝を73代とする。
    
 この尊の名は異常に長い。複数の神々の組み合わせであろう。「波瀲武」を名草猛と理解すれば、まさに五十猛命を表す。
 鵜草[うがや]を上伽耶と理解し、半島から来た王朝とする説もある。
 葺不合尊は吹上[浜]で、紀の国名草の地名とも考えられる。
 大和は紀ノ川で海と結ばれる。紀の国は建国に当たり大きい役割を果たしている説話である。


五瀬命
  東大阪市善根寺町 厄山五瀬命負傷の地 石碑
  大阪府和泉市仏並町1740 男之宇刀神社
  雄水門伝承地 大阪府泉南市男里1065番地 男神社
  雄水門伝承地 和歌山市小野町2-1 水門・吹上神社
  和歌山市和田438 竈山神社
   

珍彦(椎根津彦)
  和歌山市宇須2-359 宇須井原神社
  丹後の籠神社に伝わる「海部氏勘注系図」では火明命、竹籠に入り、海に沈む。豊玉姫命、その子の端正なるを聞きはなはだ憐重す。妹玉依姫命を遣わし養うは、即ち、武位起命[たけいたてのみことなり]とある。 不合尊の立場がここでは武位起命となっている。珍彦(宇豆彦命)はその子である。また武位起とは武伊達で五十猛に通じる。
  珍彦は倭国造の祖とされている。


名草邑と名草戸畔
  和歌山市吉原 中言神社
  海南市小野田 宇賀部神社
  名草山周辺から海南の地の女王


熊野の神邑と天磐盾
  暴風雨にあい兄弟を失い、また毒気を吐く神がいたにもかかわらず、神邑と称している。伝承が出来ていった頃は、熊野は聖地と見なされていたのであろう。
  新宮市神蔵山 神倉神社(ごとびき岩) 


荒坂の津と丹敷戸畔
   串本 御場の鼻(神武軍の上陸の地)二色の西
   串本 丹敷戸畔の森と拝ケ浜(神武軍の上陸の地、屯宮の跡)橋杭岩の根本
   勝浦 逢初め橋(丹敷戸畔軍と神武軍の遭遇の地)
   那智 丹敷浦、浜の宮大神社の末社丹敷戸畔社(神武天皇屯宮跡地の碑)
   三重県熊野市新鹿から二木島
   南紀の女王、丹敷戸畔については、[にしき]ではなく[にふ]と読み、丹生都比売とする見方がある。
   和歌山県伊都郡かつらぎ町天野 丹生都比売(にぶつひめ)神社


高倉下
   新宮市神蔵山 神倉神社(ごとびき岩) 
   天日明命の子で武位起命に相当、五十猛命の妹の大屋都比売と結婚伝承がある。


八咫烏
   牛王宝印のカラスにあるように、熊野の神の使いである。
   奈良県宇陀郡榛原町高塚42 八咫烏神社
   和歌山市関戸1-2 矢宮神社
   京都市左京区下鴨泉川町59 賀茂御祖神社
   京都市北区上賀茂本山339 賀茂別雷神社[


 
 
参考文献 和歌山県史 原始・古代


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