紀の国の神話と神々 来訪神と素盞嗚尊




来訪神と須佐之男尊


 牛頭天王、神農黄帝、素盞嗚尊
 バラモンの守護神はインドラ神であり牛頭天王であった。この神を奉じてバラモンの一部はインド半島からチャイナ大陸に赴いた。 ここでは民人が遅々として進歩せず、簡単に死んでいくのを憐れんで、薬草、農業を民人に教えた。ここにインドラ牛頭天王は炎帝神農大帝として出現した。
 民人はマレビト神として崇め祀った。

 殷の崩壊、箕氏と神農信仰の半島入りチャイナの殷王朝は紀元前1,024年に周に滅ぼされる。 殷王族の忠臣箕氏は人徳高く、敵であった周王朝から半島に封じられることになった。 
 箕氏は神農を奉じていた。神農は古朝鮮語では「すさのを」と呼ばれ、後に箕氏そのものが神農と同一視され、更に桓雄信仰が重なっていき、後に日本で素盞嗚尊と呼ばれる神となった。

 紀の国の須佐之男信仰
  海人にとっては海のかなたは根の国であり、神々や祖霊が住むところであった。 また「まれびと」はさすらう人であり、漂流する人でもあった。 各地の出来事や新しい文明をもたらし、更には外部の「血」を集落に注入する貴重な人々であった。 この「まれびと」や「来訪神信仰」は我々日本人の祖先の心の中に基層として流れていた。 紀の国への来訪神は須佐の地を本拠とする海人に祀られて須佐之男尊、名草の海人にはナグサタケ、熊野では熊野坐神として豊饒神や樹木神・舟の神としても崇敬されていた。
 特に南紀では「素狭野」「狭野」「素狭男」の伝承がある。 紀の国の樹木神五十猛命の親神に位置づけられている。五十猛命が須佐之男の若宮、新魂、荒魂とされたのである。 このように、須佐之男尊と五十猛命は、五十猛命を祭神とする伊太祁曽神社の近くに須佐神戸があったように、また須佐神社の中にも伊太祁曽神の遥拝所があるように、深いつながりがあった。
 大和王権の支配は先ず伊太祁曽神社の鎮座する紀北に及び、次に中紀有田の須佐神社の鎮座する地域に及んだ。紀の国の場合、最後に支配地に入ったのが南紀である。 伊弉冉尊の鎮まる熊野である。地理的距離が時間的距離に置き換わり、遠いほど祖神に近い神と見なされていったとの説もある。
 後に紀の海人の半島との行き来の中で神農と習合していき、渡来人にも崇敬された素盞嗚尊となっていった。

 紀の国の須佐之男尊には伴侶とされた櫛稲田姫はいない。出雲に持ち込まれた須佐之男尊は、出雲の物語であった八岐大蛇の物語と結びつき、一つの神格として成長していった。 鉄剣を帯び颯爽と鳥上峰に天降る北方的な英雄神と変貌するのである。 その後、素盞嗚尊信仰は出雲、津島、紀伊の国などの神人の布教もあって、列島に根強く広がっていた。時の権力はそれの政治集団化に懸念を持ち、天照大神の弟神に位置づけ、高天原での乱暴を強調し、素盞嗚尊を奉ずる人々が権力に近づく事を防ぎ、もっぱら民人の罪の化身として疫病神として、さらには疫病を防ぐ文化神として祭り上げたのである。
 従って、この神の神格は複雑であるのは当然である。


紀の国と出雲


 黒潮は、南は紀の国の沖へ、北は出雲の沖に流れる。南方から漂着する文化はこの両国に共通するものをもたらした。 海洋国家であり、熊野の神々であり、五十猛命であり、素盞嗚尊である。素盞嗚尊の源流は来訪神としての照葉樹林文化にあり、源流は黒潮に乗ってきた。

出雲と紀の国に共通する延喜式内社など
伊弉冉尊 比婆山           有馬の花の窟
須佐神  飯石郡 須佐神社      在田郡 須佐神社(名神大。月次新甞)
熊野坐神 意宇郡 熊野坐神社(名神大) 牟婁郡 熊野坐神社(名神大) 
速玉神  意宇郡 速玉神社      牟婁郡 熊野早玉神社(大)
加太神  大原郡 加多神社      名草郡 加太神社
伊達神  玉作湯神社坐韓國伊太神社 名草郡 伊達神社(名神大)
根の国


紀の国の素盞嗚尊をを祀る神社


式内社
有田市千田1641 須佐神社(名神大。月次新甞) 
東牟婁郡本宮町本宮1110  熊野坐神社(名神大)家津美御子神と素盞嗚尊は同一神とされている。
それ以外の伝承を持つ神社
田辺市中万呂5 須佐神社 須佐之男命が曽志毛里より帰国時、鎮座地の岩船山に船をつけたとの伝承が残る。 
田辺市芳養町1029-1 大神社 大昔の或る神官の時代、或る夜の夢の中で束帯の神人より「我は今度”泊まりの鼻”に寄れる神なり、早く我を迎えるべし」とお告げがあり、神官は翌朝お告げの場所へ行くと一つの笏が漂っており、それを御神体にした。これも漂着神の伝承である。
新宮市南檜杖 652 須佐神社 南紀での「素狭野」「狭野」「素狭男」伝承の社


素盞嗚尊をを祀る式内社


出雲国意宇郡 島根県松江市佐草町字八雲床227 佐久佐神社(現八重垣神社)
出雲国飯石郡 島根県簸川郡佐田町大字宮内730 須佐神社
備後国深津郡 広島県芦品郡新市町大字戸手天王1-1 須佐能袁能神社
摂津国住吉郡 大阪府大阪市住吉区長居西2-1-4 神須牟地神社(鍬靫)


櫛稲田姫を祀る式内社

能登国能登郡 石川県七尾市飯川町40-56&下町シ1甲 久志伊奈太伎比神社
山城国相樂郡 京都府相楽郡山城町綺田山際16 綺原坐健伊那大比賣神社
備後国安那郡 広島県福山市山野町上原谷262 多祁伊奈太伎佐耶布都神社 
 
参考文献 和歌山県史 原始・古代



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