熊野古道、伊勢路の峠道
ツヅラト峠
三重県大内山村と紀伊長島町
由緒
かっての伊勢と紀伊の国境、伊勢から峠に登ると始めて熊野の海を目にした峠。その感動はひとしおのものがあったと思われる。手に取るように近くに見えるのだ。
ツヅラト峠を通る古道は平安時代初期に開かれたが、江戸時代になると荷坂峠を越える道がホ街道となった。九十九折れの坂道なので、ツヅラ折れに準えたネーミング。
熊野の海
JR梅ヶ谷駅からツヅラト峠登り口まで約1時間。
途中に小公園がある。ここに「花山上皇熊野権現遙拝所」の石碑と地蔵さんがならんでいる。プレ王子社かも知れない。
小公園の石碑
花山法皇(安和元年968〜寛弘五年1008)、17歳で天皇に即位、僅か二年後に退位、この頃は藤原氏の摂関政治の吹き荒れた時代で、皇族は木葉のような存在。
信仰心の強い上皇だったようで、熊野での修行などを行っている。安倍晴明と交流があったようだ。
小公園から30分弱、志古の集落に石垣がある。元々道を造った際の石垣だったのであろうが、道を水が流れ、土を流してしまい、石垣だけが残ったのうだ。倒れずに残っているのは恐らくは野面乱層積と云う積み方で、これはこの古道にも残っている。
登山口は橋を渡らない方の道。案内板がある。
案内板
南紀では珍しいと云う雪の降る中の古道を歩く。伊勢サイドは杉や檜の植林の中で、普段ならただ薄暗く面白みのない道だろうが、雪のおかげで粗を隠している。化粧か。山中の登りは約30分。
植林を通る雪の古道
峠は鞍部、ここへ来ると熊野の海が展望できる。国境であるのは、伊勢側の山は檜の植林、紀伊側は照葉樹林の雑木林、どちらがゆとりなんだろう。
標高357mの峠の頂上の証
峠の遠景 志子の里から振り返る。鞍部。
下り道は展望台経由で行く。途中で古道を造った際の石積みが残っている。当時の道は新道だった。
野面乱層積み
炭焼きをした跡があった。
炭焼きの跡
さて、石畳の道がこの古道の売りだが、ほぼ降り切った所付近に残っている。多分修復に尽くされたのだろう。山中の道にも石が多いが水の流れなどで畳み状を保てなかったのであろう。
石畳の道
石畳の道 志子奥からの登り口 ここから100mが石畳。
暫く歩くと、道標(右 いせ道 左 やま道)があり、近くに祠。御神札が奉ぜられている。
神の祠
里への途中、山の神と称する祠があった。隣は行場のようだ。
山の神
右手の山に棚田の跡が点々とある。山中の田は水を流すのに便がよく、また腐葉土を通ってくる水には豊富な栄養があり、手間をかけるに値したようだ。隠れ田であったのかも知れない。
棚田の跡の石積み
下りきって志子の郷を歩くと庚申堂があり、老人が熱心に祈っていた。祠の中の像に興味があったのだた、敬虔な姿によこから除くのは遠慮した。
石仏碑は児童の姿の青面金剛児童像で、アマノジャキを踏んでいるそうだ。
庚申堂
びっくりしたのは、この付近は「紀北」なのだ。三重県の中の紀伊の北と云うことか。
地図
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伊勢路編
熊野古道、九十九王子社
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