熊野古道紀伊路、和歌山県の王子社
斑鳩王子と印南八幡神社

日高郡印南町印南町光川3450 mapfan



斑鳩王子神社(冨王子神社)鳥居



 『紀伊続風土記』は冨王子とし、往還にあり、御幸記に「いかるか王子とある是なり」としている。また「いざなの宮」とも呼ばれた。 光川村にあり、光川はいかる川を訛れるなるべし。・・播磨に斑鳩宿があり印南郡があり、斑鳩寺は上宮太子をまつる。この地も印南と言い、いかる王子があり、太子堂の廃地といい伝わるところがあり、由緒関連を示唆している。

 おそらくは斑鳩王子の旧地の一つと思われる場所が一念寺の南西にあったと言う。森長一氏宅付近に社祠があり、泣き相撲があったようだ。

 印南の八幡神社に合祀されていたが、飛地社として分祀され、国道42号線沿いに鎮座している。 この当たりの熊野古道は小栗街道の名がなじみである。小栗判官が照手姫に曳かれて東光寺に詣でている話があるが、この寺から南へ小栗街道は続く。
 42号線の海とは反対側である。印南河口から海岸沿いの道がある。古道ではないが海の景色の良い道である。すこし外れて折角の海を楽しむのも良い。
 42号線の左側の歩道を進むとドライブイン紀南パレスが見えてくる。左手に切れる細い道が斜めに登っている。畑の間を行くと王子神社の鳥居が見えてくる。42号線沿いにも鳥居と説明板がある。


斑鳩王子神社(冨王子神社)本殿




紀伊續風土記 巻之六十七 日高郡 印南荘 中村から

○叶王子社  方一間五尺  境内周百間
村の西端往還にあり 御幸記にフイの王子とある 此社なるへし 津井村古老の伝へに当社舊津井領にあり 後印南に移したりといふ


 


紀伊續風土記 巻之六十七 日高郡 印南荘 光川村から

○富王子社     境内周三十八間
往還にあり 御幸記に いかるか王子 とある是なり 古歌に斑鳩や富の小川といへる 富いかるか 共に大和国の地名なり 此王子も富といひ いかるか といふは聖徳太子なとによしある事か


 



御坊市名田町上野から印南への地図





印南八幡神社 日高郡印南町印南2657 

きのくに線印南駅 5分 its-mo


カエルの印南駅と印南八幡神社



 祭神 譽田別神 配 澳津姫神、田心姫神、三筒男神、倉稻魂命、猿田彦神、須佐男命、大將軍

由緒 不詳。印南は鰹節発祥の地として知られ、江戸時代初期の発明と言う。 それまでの鰹節は薩摩、土佐が名産地であったが、この新製法により、「紀州節」は一挙にトップに躍り出たのである。 面白いのは、一漁民が秘法を房総千倉にもたらされ、「房州節」も鰹節番付で「紀州節」と並ぶようになった。
 黒潮ルートで、紀州と房州とは交流が多く、捕鯨、醤油、修験、熊野権現などが伝わっているようである。

お祭り 例祭 10月2日 印南祭という。


印南八幡神社





紀伊續風土記 巻之六十七 日高郡 印南荘 宇杉村から

○正八幡宮  境内周六十四間
 本社三扉  表行一丈一尺
 末社四社  牛頭天王社・稲荷社・住吉社・猿田彦社
  御輿舎  長 床
村の北にあり 宇杉光川東山口三箇村の氏神なり 神主あり
       社僧    神 宮 寺
 宮の側にあり 真言宗古義印南原村瀧法寺末

○東光寺   薬王山 浄土宗名草郡梶取村総持寺末
  本堂  方六間   薬師堂   鐘楼
 村の東端にあり


 


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