熊野古道紀伊路、和歌山県の王子社
切目中山王子、王子神社
印南町島田2916 JRきのくに線切目駅東1km mapfan


 切目駅のガードをくぐり南東へ山道を行く。途中で工事をしているが行けるところまでまっすぐ登る。 やがて山頂に近づくと道しるべがある。1直進、2右折と読めるが、まず直進して王子社に詣で、引き返して次の岩代王子への道筋を言う。
 切目(切部)中山王子は元々現社地より東の王子の谷と呼ばれる地にあったと伝わる。
 鎌倉時代の日記『後鳥羽上皇熊野御幸記』にこの名が見える。
 王子神社から国道に出る降り坂には、茶屋跡、一里塚、道標などがある。

王子神社前の室町時代の宝篋印塔(右側)



王子神社 印南町島田

 

祭神 市杵嶋姫命 配 祭神不詳三柱
摂社 足の宮神社「足の宮神」

由緒(和歌山県神社誌による)

 室町時代の初期榎ノ木城主が守護神として現地に遷宮したというが定かではない。
 同時に名杭鎮座の山伏神社を移転し末社としてまつっている。この山伏神社は370有余年前、河内に行者が諸国修行中、大和大奉山脈又は吉野郡山で修練を重ねて居るとき急に熊野参詣を思い付き、高野より奥熊野を経て那智山に着き、冷水飛び散る滝壷で潔身苦行幾十日かうを重ねてようやく満行を迎え、喜び帰路についたが、名杭の谷に着いたとき、旅のつかれと寒さのために持病の足痛が増し、悲鳴を上げて七転八倒し苦しんでいるのを村人が発見した。 田舎のこととて薬も医者もなく村人たちは見ているのみであった。 その行者は「医者がないのか、ないなら私が足痛を治してやろう」と言い残して死んだ。

 村人達は生前十分の看病が出来なかったお詫びに丁重に葬り墓標を建てて杉の木を植えた。
 死後数日後、墓標は山吹色の黄金燭に輝き、村人たちは驚いて、この行者の行徳をたたえて祠を建て行者の霊を祭ったと言い伝えられ、効験あらたかで明治の末期まで「山伏さん」と申していたがいつの間にか足の宮と申すようになった。

 現在も多方面から12月13日に団体バスで参拝がある。

祭り  例祭10月18日

王子神社と足神さん(右側)

 本殿は木造銅瓦葺流造。 



紀伊續風土記 巻之六十七 日高郡 切目荘 島田村から


○中山王子社  境内周五十六間
本村榎峠といふにあり 長床あり 御幸記に 超山参切部中山ノ王子とある是なり 舊は今の社地より八町許東中山の内にあり 今其地を王子か谷といふ


 

切目から南部への地図

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