○八幡宮 境内山林方八町
本社 末社 若宮・住吉社 弁財天社・藤井権現社 廳
村中八幡山といふ中山にあり 山城国男山より勧請すと云ふ 時代詳ならす 永禄三年(1560)修造の棟札あり 一村の産土神なり
当社山の北の麓に愛徳山王子社あり その社御幸記に見えたり 是によって考ふるに今の八幡宮を舊は愛徳山といふに似たり 然れは当社舊は八幡宮と愛徳山とを並べ祀りし事 土生村に八幡宮ど飛鳥明神を並祀ると同きならん 飛鳥明神は即愛徳権現にて熊野権現の異名にて同神なり 其事詳に寒川荘笠松村愛徳六社権現の條に見ゆ 衰乱の世神事荒廃して里人神の由来を失ひ謬りて八幡一社を祀るとして山をも八幡山と呼び来りしなるへし
神主 坂本氏
家系に当社八幡宮を男山より勧請の時京都坂田村坂本又左衛門同五郎左衛門両人八幡宮に従い此の地に来り社司となり 今に至る 坂本は甲斐源氏の末裔といふ
別当 雲松寺 龍宮山
天台宗鐘巻村道成寺末八幡宮境内にあり 此の寺舊は別当寺なれとも神事に預からすといふ
○九海士王子社
村の北にあり この所は右の熊野街道なり 御幸記にクハマ王子と見えたり 九海士の義詳ならす 桑間なとの義にして土地の小名なるへし 世人或は九を畧して海士王子と云うより道成寺の本尊をかつき上し海郎を祭りしなりといふ 伝会の説 神を誣といふへし
○愛徳山王子社 境内周百二十間
村の乾にあり 御幸記に見えたり 愛徳山の事上の八幡宮の條に論せり