熊野古道紀伊路、和歌山県の王子社
九海士王子と吉田八幡神社

御坊市藤田町吉田字八幡2236ノ1 ゼンリン



 愛徳山王子が八幡山の北の麓、この王子は南の麓にあった。御坊市史に吉田村手鑑には「往古八幡山之間入海にて此山之すそに海士住居致し、道成寺之観音を海中よりかつき上申候由申伝え、仍之海士を海士王子と祝せしめ有之候」と記されているが、 九海士とか海士とかの表示は近世の事であり、久和万、クワマ、クリマ、桑間崎王子等と表現された。
 明治41年、前の愛徳山士王子と共に近くの八幡神社に合祀された。なお九海士王子社にあった宮子姫像は道成寺に祀られている。本来は天照大神像であったと推定されている。


九海士王子石柱




八幡神社 御坊市藤田町吉田 its-mo


祭神 八幡大神、神功皇后、高良神

由緒 神功皇后が帰国後行宮を営み、その後九人の供に船を一艘ずつ与えて帰宮された。 九海士と言われた九人はその船で漁業に努め、農業に精出し、行宮の聖地に八幡大神をお祀りした。後世、九海士の邑長「早鷹」の娘が宮子姫(髪長姫)で文武天皇の妃となった。道成寺の建立の由縁となり、逆にこの神社は衰亡した。
 神社の隣に宮子姫(髪長姫)生誕の地の石碑と公園がある。弁当、便所にいい。

お祭り
  10月 5日 秋季例祭



八幡神社



八幡神社から道成寺を望む




紀伊續風土記 巻之六十三 日高郡 矢田荘 吉田村から

○八幡宮     境内山林方八町
 本社  末社  若宮・住吉社  弁財天社・藤井権現社  廳
村中八幡山といふ中山にあり 山城国男山より勧請すと云ふ 時代詳ならす 永禄三年(1560)修造の棟札あり 一村の産土神なり
当社山の北の麓に愛徳山王子社あり その社御幸記に見えたり 是によって考ふるに今の八幡宮を舊は愛徳山といふに似たり 然れは当社舊は八幡宮と愛徳山とを並べ祀りし事 土生村に八幡宮ど飛鳥明神を並祀ると同きならん 飛鳥明神は即愛徳権現にて熊野権現の異名にて同神なり 其事詳に寒川荘笠松村愛徳六社権現の條に見ゆ 衰乱の世神事荒廃して里人神の由来を失ひ謬りて八幡一社を祀るとして山をも八幡山と呼び来りしなるへし
     神主  坂本氏

家系に当社八幡宮を男山より勧請の時京都坂田村坂本又左衛門同五郎左衛門両人八幡宮に従い此の地に来り社司となり 今に至る 坂本は甲斐源氏の末裔といふ
     別当  雲松寺  龍宮山

天台宗鐘巻村道成寺末八幡宮境内にあり 此の寺舊は別当寺なれとも神事に預からすといふ

○九海士王子社
村の北にあり この所は右の熊野街道なり 御幸記にクハマ王子と見えたり 九海士の義詳ならす 桑間なとの義にして土地の小名なるへし 世人或は九を畧して海士王子と云うより道成寺の本尊をかつき上し海郎を祭りしなりといふ 伝会の説 神を誣といふへし

○愛徳山王子社   境内周百二十間
村の乾にあり 御幸記に見えたり 愛徳山の事上の八幡宮の條に論せり


 

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